今日行動探求の勉強会をしていて、中土井遼さんからナウシカを例に、発達理論に関する面白いお話を伺った。
テーマは、発達構造のレッドの段階に入り込んでいる方(多くはレッドを超えた段階だが、レッドにならざるを得ない状況にいる方)の変容をサポートするには、こちら側がアンバーになって攻撃をくらいまくるか、レッドになって攻撃し合うかで有効だということ。
ここの話のポイントは、レッドは、相手が自分の手によってボコボコになってしまったのを見ることによって「我に返る」ことができるということ。
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ナウシカとテト
たとえ話に出てきたのが、風の谷のナウシカのキツネリス、テトと出会うシーン。
テトは、動物であり、初めて会う人間に警戒している点からレッド段階にいる。
ナウシカはその様子を察知して、アンバー段階での対応で、テトにあえて噛まれる。すると、テトは我に返って正気に戻り、傷をなめはじめる。
これがレッドに対して、アンバーであえて攻撃をくらって正気に戻させる話。
レッドに対して、レッドで攻撃しあうというのは、テトと同じよう本能に任せて噛み合う。これはこれで、噛み合いまくり、互いに力尽きるところまでいって正気に戻る。
ここを、オレンジ段階で対応するなら、同じ戦うにしても、オレンジは本能のままではないので、マウントを取る形になってレッドが正気に戻ることは少ない。
アンバーではなくグリーンで対応するなら、同じ母性的に関われるのだが、グリーンはアンバーと違って噛まれにはいかない。相対主義として、それをいいよねと肯定して、余計に暴走させてしまう。
ティール以上になると、第二層段階に入り、意図的にこれまでの段階を選択して対応できるようになるので、ナウシカのようにレッドやアンバーに降りて対応することができる。
中土井さんのこのたとえ話は本当にわかりやすかった。
これくらい面白くわかりやすく話ができる人に惹かれる自分がいて、発達理論を広めていきたいという自分の思いがあるために魅力に感じている。
発達構造の観点でみる適切な支援仮説
さて、この話をヒントに、1つの仮説だが、発達支援においては、発達構造の観点では、相手の変容を促すにあたって、こちらが相手と同じか、一つ上で関わることが重要と言えるのかもしれない。
このことは、これまで肌感覚として持っていることでもある。
そもそも、相手の世界観を感じ取りにいくスタンスが重要で、相手の世界観をわかってなく関わっては、相手に適切な支援ができている感覚ももてない。
先ほどの、発達構造を同じか1つ上で関わるというのは、例えば、クライアントがアンバーにおいては、こちらが意図的にオレンジで対応し、
「世間ではAという考えだが、私はBと考えている。なぜならこうだから。
それを踏まえて、あなた(クライアント)はどう考える?」
という具合に、持論形成を見せる。
クライアントがオレンジの場合は、オレンジからグリーンはどこかふわふわして頼りなく掴みどころのないように思うように思うので、あえて同じオレンジで関わりながら関係性をつくり、ふとグリーン的に前提を疑うような視点をおいていく。
ここまで書いて思ったことだが、相手と同じか一つ上というのは、
「自らが鏡となって示す」行為なのだろう。
同じ段階になって写し鏡のように客体化を促す、
一つ上の段階になって、次への段階をモデル的に写す。
このようなことが言えるのかもしれない。
豊穣な内面世界
それから、こういう発達構造の話をする際、いつも思うのだが、これもあくまで1つの構成概念でしかない。
私も過去わかりやすく理解する、説明するためにアニメを用いているが、実際には、人の内面は豊穣なもので、未規定なものに思う。
つまりこういったことは、虚構でありながら現実でもある。
それゆえに、補助線として活用することを忘れてはならない。
2021年5月25日の日記より
2021年5月28日