今日読書会をしていて、私にぜひ見てほしい動画があり、発達理論的にどんなことが言えるのかぜひ聞きたいとのことで、教えてもらったのが、1986年、ビートたけしのフライデー襲撃事件の記者会見だった。
読書会が終わり、その動画を見たのだが、これがなかなか衝撃的だった。
たけしさんは今や74歳だが、その当時は39歳で、めちゃくちゃイケメンで、率直にこれはモテるわという感じ。
賛否両論あると思うが、個人的にはこの会見でのふるまいは、色んな意味で一見の価値がある。
動画自体は、
・事件直後の会見動画
・懲役6ヶ月執行猶予2年が下された後の判決直後の会見
を見た。
細かく言えば色んな話しができるのだが、特に印象的だったところだけ残しておきたい。
教えていただいた方にも向けて、少し行動探求の要素も混ぜながら。
たけしさんの自他尊重のコミュニケーション
判決会見では、まずはじめにこんな事を言うところ始まる。
判決に関しては、まぁ、重いとそう思います。
でも、これだけの事件を起こしたのは僕ですから、あえて、感じるところは重いなと思いますけれども、それは冷静に受けとめて、刑に服したいと思います。
全体を通じて感じることだが、たけしさんはかなり素直で正直な方に思う。
だから信頼されるし、記者側も納得する人がいるように思う。
冒頭のこの発言自体、「判決が重たいと感じる」と、率直に言える人はどれくらいるだろうか。
これから記者会見が始まり質問攻めにあう中で、そんなことをいうと、「お前反省してんのか」と思われ言えない人が大半だろう。
たけしさんは、自分のことを客観視できているし、世間のことも広く捉えていて、自他共に大切にされているように思う。
だから、私の気持ちとして、正直重いと思っているけども、世間はそれを許さないだろうし、私自身も法の裁きを受けるべきとも思うので、服したいという発言が出てくる。
事件を起こした後の会見の方でも、
「今回の件を愛人の方にはどんなふうに話をしたんですか?」
という質問には、
「そんなこと質問すんじゃねえ」と返すあたりに、どの質問は返して、どの質問は返さないのかの判断もある。
さらに、今回自分が犯した事件の影響力に関しても、この事件とは関係なく、その前からすで起きている問題とを切り分けている様子さえもみえる。
たけしさんのすごいところは、これを瞬時にできている点。会見という場において。
通常なら、自分が罪を犯して謝る会見ゆえに、心境として謝る身分で、自己主張は抑えがち、きた質問には応えるの誠意と思う。
しかも、事件の内容的に、たけしさんも家族や愛人に被害があることから
かなり感情的になりやすい状況にも関わらず冷静にしている。
謝る部分は謝るが、自分が主張するところは主張している。
この対応は自他尊重のコミュニケーションはお見事に思う。
前提として、自分に耳をすませる
いや、もっというと、「判決は重たいと思う」という発言自体、前提としてそもそも自分自身の感情に気付けるだろうか。
リアルに、自分がこの立場だと想像してみたい。
たしかに、自分の家族やプライバシーを守る正義があったにしろ、自分が暴力によって相手の肋骨をおるなど、罪を犯した。
BIG3と言われ茶の間のアイドルと言われるスーパースターという立場上、どれほど迷惑をかけ、どれほどバッシングを受けるか。
自分にも正義があるが、法を破ったという自責はもちろんあるわけで、どんな判決も引き受けますとなり、自分自身の感情に気づけるだろうか。
軽いと思うのか重たいとか思ってはいけない、と思わないだろうか。
もし発達理論的に話をするなら、自分がアンバー段階(行動探求でいう外交官型)なら、おそらく自分の世間のバッシングへの圧力に同調してしまい、自分の感情に気付きにくい。
アンバーを超えたオレンジ、グリーン段階の人であってもこの状況であればアンバーまで下がりやすい状況だ。
そこまで踏まえると、この自分に耳をすませていることも素晴らしい。
もちろん、その上で、それを率直に相手にも納得感のあるかたちで話をだせる。
この行為暴動自体は決して許されるものではないのだが、この会見でのふるまいは、見習うべき点がある。
引き受ける精神
判決後の会見は、続いてこんな発言がくる。
ただもう6ヶ月も経ったことなので、自分の中で既に解決したことになってますから、6ヶ月過ぎた現時点で、その事件に関するしこりなどというのはほとんどなく、
自分に対して、くだらないことをやってしまったなというだけ。
あとは、報道とかそういうことに関しては、自分なりに処理しただけで、あとは皆さんにお任せするというだけです。
冒頭の発言含めて、ここまでで1分。たけしさんの意見はもうこの1分で簡潔にまとまっている。
どうだろう。
ここで「しこりはほとんどない」とまで言い切れるというのは、相当動いてきた証に思う。
たけしさんは、法の裁きがあろうがなかろうが、自分自身の問題として、
自分なりに半年間それなりに対応してきたのだろう。
だからもう解決したという心境になっているし、判決も重いと思うのだろう。
それにも関わらず、引き受けるという精神を、この場からすっと出てくるのは素敵なことに思うし、皆さんにお任せというのは、それを第三者としてどう評価判断するかはおまかせしますという線引もはっきりある。
本事件をどこまでの問題として振り返っているか
上記発言で「自分の中で既に解決した」と言っているが、厳密にはおそらく解決していない。
というのも、おそらく、たけしさんであれば、この問題を現代の病というレベルで捉えている。
行動探求を補助線にするならば、この問題を少なくとも構造的であると捉えているし、その奥にそれが生み出す源にも気づけているように思う。
会見の中で発言で、たけしさんは
・記者側の事情
・フライデー側の事情
・フライデーを求める消費者
(・今回で儲かったスポーツ紙)
を述べている。
この発言内容から、今回フライデーの記者一人を攻めることなく、記者がこうなってしまって当然と思える構造上の問題として捉えている。
さらにその構造を生み出す源として、消費者側のニーズ等にも触れている点から、この問題を現代社会の病として捉えきれている。
その点を理解できているのならば、本当の意味でこれを解決するには構造を変えていく動きが必要になってくるわけだが、それは自分一人ではできるものではない。
その意味で、今回解決したというのは、自分一人でできること(各社へのお詫びなど)はしてきたから、しこりがないと言っているのが本音ではないかと思う。
暴動自体の意味合い
ここまで書いてみて思ったことだが、そもそもこの暴動自体が、たけしさんなりの構造を変えるための動きだったかもしれない。
もちろん本人にしかわからないことだが。
会見でここまで冷静にタイムリーに内省ができていることを踏まえると、感情を落ち着かせて冷静になり、襲撃しない選択肢も選べたはず。
(倫理や感情という発達ラインも、私個人としては、そこまで低いようにも思わない。)
わかった上で、あえて暴動を起こしたのではないか。
自身の茶の間の影響力を理解した上で、たけしさんなりの構造を変える行動だったのではないだろうか。
詳しく知らないが、現に、これで週刊誌の取材に関してはだいぶ気が引き締まっただろう。
この会見からそんなことを感じた。
私もこのように自他尊重でありたいし、構造上やその奥にある源にまで目を向けれるような人でいたいと思う。
2021年5月23日の日記より
2021年5月26日