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日記「あじわい」

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自分の中で、強烈に溢れ出た嫉妬・・・#287

時刻は21時30分。

今日も新鮮な朝を迎え、一日バタバタして今に至る。

毎日寝れば、翌日にはリセットされて、新しい感覚でいるが、今日は珍しく昨日の出来事が残っている。

悔しい気持ち。

昨日とある方と東京でランチして、その時はさほど感じなかったが、終わった後から悔しい気持ちがふつふつと出てきた。

悔しいというか、嫉妬。

自分でも、この嫉妬という感情がこれほどまでに大きく出てきたことにかなり驚いている。自分の中に、まだそんな感情があったのかという感じ。

いや、もちろんあって健全なのだが、これほどまでに大きく出ることはここ数年なかった。

それこそ、1年弱くらいの無職の期間、修行のように内面探求をし続け、社会的な承認さえも自己欺瞞に過ぎないことを心底感じ、色んなものを手放してきたつもりだし、生きやすくもなった。

このような嫉妬の感情が、自分の中でこれほどまでに大きく生まれていることに、ある種、自分自身で喜びさえある。

しかし、私はどうしてこれほどまでに嫉妬したのだろうか。

1つは、その方の佇まいにあった。

1つ1つが実に丁寧に思う。

ものすごく教養がありながらも、1つ1つをピュアに反応し、相手へのリスペクトも自身の感情も、具体的に感じ取りそれを言葉で伝えることもできる。

世の中のことも自分のこともそれなりに認識できており、身の程も知ってる。会話の仕方、しぐさ、もたらす空気感は、もはや禅そのものである。

もはやずるく感じる。

自分もそのような人でありたい。

だがこれだけではさほど嫉妬もいなかっただろう。

もう1つは、何か大いなるものを味方につけている感覚があった。

この方は、この21世紀という時代において、今の社会が、今の世界が、世界を代表する日本人として必要としているように思う。

この世には、様々なシステムで成り立っており、色んな縁起のすえ、成り立っている。

そんな中、あらゆる縁がこの方を作り出しているように思うし、チャンスの神様さえもこの方に惚れているのではないだろうかとも思う。

そして、こういった自分の実力以上のものが自分に力を貸してくれていることを、この方は十分客観的に理解しているところに、これまた嫉妬する。

こう思うと、何か自分もそのような人でありたいと思うし、どこか自分も自分の意図とは関係なしに、運さえも味方につけたいと思っている。

自分の意図とは関係なしに、世界が自分を、日本を代表する人間として評価してほしいと思っている。

社会的な承認欲求は手放したつもりだけど、消えることはなく、自分の中にやっぱりあったんだなと思う。

それが人間らしいよなと、少し嬉しくも思う。

このことを踏まえて、私はどうしていくか。

これは何も変わらない。

今更社会に評価されることを求めることに動くことになんら意味を感じない。

人生が私という人間を通じて起こしたいことに身を委ね、流れのままに最善を尽くし、結果は社会に委ねるだけである。

その結果も、たとえ出なくとも、何かしら自身の知恵となり、社会にとっても何かしら小さな相互作用が起こることは事実でもある。

それは間違いないのだが、だがやはり悔しい。
ものすごく悔しいし羨ましい。。。

何も変わらないといったが、変わるとすれば、この悔しさ、嫉妬が、私のエネルギーへ変え、これまで以上に最善を尽くしたいと思う。

足るを知る生き方でありながら、同時に、自分に宿す大志も力強く育て、粛々と、人生が与えてくれた自分の使命を全うしたい。

2021年9月27日の日記より

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