今日はとある会社の方々とお話をしていた。
めちゃくちゃ忙しく、常にキャパオーバー、キャッシュが尽きてしまうというプレッシャーもあるし、不安もある。
ある方は、それに病むが、別の方は、それでも楽しんでいるし、心は健康でいる。
同じチームにいるのに、この違いがなんなのだろうという、そこへの関心がいく。
もっともっと深く聴いていかないとわからないことなのだが、今思うにこれがネガティブケイパビリティということなのかもしれない。
本は読んでいないが。笑
これについて、今この瞬間思うことを書いてみたい。
CONTENTS
認知を変える、広げる
まず、思うことは、ネガティブに対する認知を変えてほしいと思う。
以前の日記でも書いたが、最近葛藤している人に対して、良い意味で祝福している。おめでとうと言っている。
発達は「死と再生」と形容されるが、葛藤の先に、真の自分と出会うことができる。
そう思うと、今まで自分が培ってきたものではどうしようもならない葛藤に出会うというのは幸運なことだと思いたい。
もちろん、傍から見てそういえ、当の本人からすればそうは思えない。わかっていてもきついというのがあることは重々承知している。
だが、これに対して今いなしても、自分にとって重要な葛藤であればあるほど、場面を変えて何度も起こる。
そして、解消(ないし統合)されるには、かなりの時間を要する。
であれば、自分の人生にとって必ず向き合う必要性があるものであり、長らくそいつとお付き合いしてみませんか。と提案したい。
それが自分を発達させる、真の自分と出会うために必要なものだと信じて。
まとめると、何の認知を変えるかと言うと、そういった葛藤は、そもそも長くかかるものであり、真の自分に出会う幸運なことなのだという認知に立ち返りませんか?
そういうことを言いたい。
自分の聖域をつくる
上記のような認知を持ったとしてもきつい。そんな状況もあるように思う。
そんなときに、自分の中の聖域をつくることの大切さを思う。
ヴィクトール・フランクルやネルソン・マンデラは、収容所や獄中においても精神的自由をもっていたわけだ。
その方法は、人ぞれぞれに思う。
私でいうと、慈悲の瞑想であるし、人によってはハート呼吸をしたり、NVCやコネプラの人間であれば、クイック・コヒーランス・テクニックをする。
もっとわかりやすいところでいうと、自分の好きなことをするとかも入る。(これに関しては、場所や諸々条件という制約があるが)
しかもここにも度合いはあり、どれくらい深く落ち着かせられるか、あるいは早く落ち着かせるか、といった習熟度の差もある。
他にも色んな話があるが、良い時間になってきたので、このあたりにしたい。
2021年7月31日の日記