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日記「あじわい」

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深層意識で本を読むということ#418

今日、リーリエという1980年の機関紙に投稿されていた「ユングとシュタイナー〜自我に対する態度を中心に〜」という高橋巌さんの講義録を拝読した。

読むのは4回目くらいである。

それを読んだとき、私はどうもここ半年ほどかけて読んできた井筒俊彦の「意識と本質」の本の読み方を根本的に間違えていたのではないかと思うようになった。

というより、この本に限らず、本そのものの読み方を、実に浅い読み方をしていたのではないかと思うようになった。

深層意識で本を読む

私はこれまで、深層意識ではなく表層意識で読んでいたのだと思う。

しかしながら、深層意識で読むということはどういうことなのか。

それが、私には理解できぬところだったので、今まで全くもって表層意識で読書をし続けた人生であったわけだ。

しかし、何の拍子に、今日は幸いにも深層で読むということを、少しそれを体感することができたように思う。仔細、言葉にはなかなか難しいものなのだが。

いつだっただろうか。以前、師匠の加藤洋平さんに、言われたとある言葉を思い出した。

加藤さん
「阿世賀さん、本を読むことは、グロスの意識状態だけでなく、サトルの意識状態、コーザルの意識状態、それぞれの意識状態で本を読むことができるんですよ。」

阿世賀
「え、いや、サトルはまだわかりますが、コーザルはシャットアウトしている状態ですよ?それで本を読むってどういうことですか?」

加藤さん
「読めるんですよ。笑」

その時は、なんのことか全くわからなかったが、今ようやく少しわかったような気がした。

それは書かれてある内容を理解することではない。

語られている言葉を通じて、語り得ない言葉を感じることであるように思える。

井筒俊彦「意識と本質」からくるメッセージ

先日おこなった「意識と本質」の読書会の際、私はぼそっとこんなことをこぼしていた。

「結局井筒はどうしてここまで細かく本質をわけていったのか?その真の意図はなんだったのだろうか?」

それは私が全くもってわからなかったからである。

しかしながら、以下の文章を深層で読むと、高橋巌の言葉ではあるものの、高橋巌からユングとシュタイナーを通じて井筒とつながり、井筒の「意識と本質」を書かれた思いを少しばかり感ずることができたかもしれないと思った。

と こ ろ が 象 徴 に は 二 つ あ り ま し て 、 今 言 い ま し た よ う に そ の 理 由 が は っ き り し て い る 象 徴 と 、 そ れ か ら ど う 考 え て も ま だ そ の 理 由 が 説 明 の つ か な い よ う な 象 徴 と が あ る の で す 。

山 の 頂 上 の 写 真 で し た ら 、 今 言 い ま し た よ う な 意 味 で 、 何 故 そ の 写 真 が 自 分 に と っ て 特 別 訴 え か け て く る の か 説 明 が つ く の で す が 、 あ る 種 の イ メ ー ジ は ど う し て そ れ が こ ん な に も 心 に 訴 え か け て く る の か 、 考 え て も 分 り ま せ ん 。

し か し 見 れ ば 見 る ほ ど 心 を 引 き つ け ら れ ま す 。 そ う い う イ メ ー ジ の こ と を ユ ン グ は 本 来 の 象 徴 と 考 え た の で す 。 そ し て そ う い う 象 徴 に な っ て い る イ メ ー ジ を マ ン ダ ラ と も 言 っ た の で す 。

で す か ら マ ン ダ ラ を 目 の 前 に し ま す と 、 そ の マ ン ダ ラ と 自 分 の 無 意 識 の 心 と が 対 応 し て い る 場 合 、 そ の マ ン ダ ラ か ら 何 か 無 限 の エ ネ ル ギ ー を 、 し か も 未 来 か ら 来 る エ ネ ル ギ ー を 感 じ と る こ と が で き る の で す 。

リーリエ「ユングとシュタイナー」P32

未来からくるエネルギーというのは、私の理解でいえば、それは人生そのものからの問いや言葉であり、魂からの言葉であり、もっというと、神からの啓示なのである。

それを、象徴の中から見出すことができるということ。

おそらく、井筒がマーヒーヤ(本質)の第二の型の立場を取られていることは、ご自身がそういった象徴を目の当たりにしてきたのではないだろうかとと思う。

「大切なものは目に見えない」というが、人生の意味、使命感なるものは、決して目に見えるものではなく、目に見えない、深層意識の中でこそ感ずるものであることを、象徴を通じて感ずることであることであることを、何か井筒が今の私にとって伝えてきてくれたように感じた。

2022年7月5日の日記より

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