5月13日。最高気温は27度まであり、半袖でちょうどいい温かさになった。
庭のベンチで本を読のは本当に気持ちいい。
心も身体もひらけた状態で、頭だけでなく、全身で学んでいる感覚がある。
さて、今日は般若心経を読んだので、いくつか言語化しておきたい。
CONTENTS
東洋思想、西洋哲学、現代科学の近縁性
これは、私という人間を通じて感じたことなのだが、般若心経を読んでいて、他の思想、哲学と同様の概念があって、東洋思想も西洋哲学も現代科学も抽象的にいえば同一の真理を述べていると思う。
ゆえに、ここに絶対的真理なるものがある。
それはなにかという非二元の世界観。
「般若」という「究極の智慧」は、「無分別智」である。
名付けという言語、思考、認知をつかった、「分別智」を否定した先にある「無分別智」。
こうした仏教的認識は、量子力学の「粒子であり、波である」も同様のこと。
西洋哲学は真理を追求し続けているため、認識論、実在論は多様であるが、デカルト、ヒューム、カントの論点も「私」というものを扱っているために、論点は同様。
西洋哲学、東洋思想を学んできた西田幾多郎のいう「主客合一」も、この絶対的真理を示している。
ウィルバーが尊敬する物理・哲学者ダスタフ・フェヒナーも、植物のあらゆる活動の究極の目的が「個体ではなく、全体の最大の快」も同様。
仏教の弱点、限界点
しかし、こういった非二元の世界観は、一般的には非現実的に思われてしまっている。
仏教の教えは有り難い。だが、そういう考え方があると心が楽になりませんか?というような「生きるヒント」レベルにとどまっていて、現実世界で実践するのは程遠い。
知行合一とあるように、仏教の教えを頭でわかっても、日々の些細なことから体験を伴った理解でなければ悟りと言えず、この体験による理解があまりにもハードルが高い。
仏教の実践の道だけでも、その境地にはいきにくい。
ここがある種、仏教の弱点や限界点と言えるかもしれない。
だが、ここに、心理学、西洋哲学、現代科学、芸術と関連付けることが、実践へのヒントを豊富にしてくれる。
それらの統合を試みていくのが、絶対的真理への道。
インテグラル理論、発達理論のもつ価値とこの先
その意味で、メタ理論であるインテグラル理論は、そこに大きな功績がある。
たとえば、観察する自己という概念は、スザンヌクックグロイターの理論はさらに細分化してくれていて、むしろこちらから探求するほうが多くの人にとって親切に思う。
とはいえ、私自身実践者でありながら、人間個々人の多様性を踏まえると、適応は難しい。
もっともっとその個人にカスタマイズできるような洞察が増えれば、だれもがその人に適した健全な発達をガイドできるように思う。
その洞察を深めていきたいし、まずは私自身が今この瞬間から1つ1つを実践していきたい。
2021年5月13日の日記より
2021年5月14日