対人支援に関わるものとして、あるいは発達理論を探求する身として、
「どのスキル(・知能・発達領域)を磨くべきなのか?」
という問いがたつ。
それは、ビジネスというレイヤーでみれば、この仕事に求められるスキルはなにかという問いに答えることになるだろう。
レクティカのアセスメントは、それらをより精緻に細分化している。
一方、ビジネスというレイヤーを外して、実存として、あるいは悟りの境地として至るにあたり、重要な発達領域とはなのだろうか。
今日はこのことについて書いておきたい。
CONTENTS
六波羅密
悟りときいて、大乗仏教における「六波羅密」は1つの参考になる。(密教においてはさらに4つ加えられて十波羅蜜)
その6項目は以下。
(1)布施(ふせ・ダーナ・generosity)(日本語・サンスクリット語・英語)
与えること。見返りを求めず施しを行う。
(2)持戒(じかい・シーラ・moral discipline)
道徳。規律を守る。
(3)忍辱(にんにく・ウーシャンティ・patience)
耐え忍ぶこと
(4)精進(しょうじん・ビリーヤ・will)
たゆまぬ努力
(5)禅定(ぜんじょう・ディアーナ・meditative concentration)
瞑想。集中。
(6)智慧(ちえ・プラジュニャー・nondual awarenss)
上記5つを実践することでたどり着く智慧=真理を見極めること。
コンテンツとストラクチャー
で、ここで重要なのが発達理論やインテグラル理論がもたらしてくれたコンテンツとストラクチャーという概念である。
この6項目それ自体は、コンテンツ(内容)であり、重要なのは、それをどのように認知し解釈し、豊かに意味づけているかという自身の段階(ストラクチャー)である。
たとえば、持戒1つとっても、何をもってそれが正しい、それが善い行いなのか?
その規律、倫理、道徳はどこからきているのか?
ローレンス・コールバーグが研究したように、道徳も発達していくのであり、単に教えに従っているのであれば、十分に思えない。
仏陀の生きた時代から社会はどんどん変わっていき、果たしてその倫理が今も健全なのか?
そういった問いかけをしていき、ときに一見不道徳や違法であることも行っていくことが真に重要な道徳かもしれないのだ。
ガンディーの振る舞いをみれば明らかである。
ゆえに、この6つ自体をどう意味づけるか、どこまで体現できるか、こういったストラクチャーの概念が欠かせない。
ウィルバーのあげる8つの知能と六波羅密
そう思うと、ウィルバーのあげる8つの主要な知能とかなり似ている。
六波羅密の教えは、わかりやすく具体的であるということが魅力なのに対して、ウィルバーの8つの知能は、より抽象的で網羅的のように感じる。
もちろんこの8つがすべての知能を網羅しているわけではないが、ほぼほぼ重要な点を押さえている。
8つは以下のとおり。として、私の解釈で、六波羅密と並べてみる。
(1)認知的知能(cognitive intelligence)
≒智慧
(2)感情的知能(emotional intelligence)
≒忍辱
(3)内省的知能(intra-personal intelligence)
≒禅定
(4)身体的知能(somatic intelligence)
≒禅定、精進、忍辱
(5)道徳的知能(moral intelligence)
≒持戒
(6)精神的/霊的な知能(spiritual intelligence)
≒禅定
(7)意志の力(willpower)
≒精進
(8)自己のライン(self line)
≒智慧、布施
ゆえに、ウィルバーのいう8つの知能を意識的に高めていくことそれ自体、悟りの道と言える。
統合的な見方
さて、上記は、六波羅密の6項目に対して、発達領域(ライン)として示してくれているものに、発達段階の視点を加えたものに過ぎない。
より豊かに捉えるならば、発達段階の視点に加えて、
それぞれ6項目において、
・意識状態の視点
・四象限の視点
・シャドーの視点
を持ち込むことによって、より豊かなものになっていくだろう。
2021年1月6日の日記より