ケン・ウィルバーは、包括的な心理学(=インテグラル心理学)の探求で試みたことがある。
それは、プレモダン、モダン、ポストモダンのすべての時代に重要なことを伝えてくれていると仮定し、それぞれの時代から本質的な洞察をすべて包含し、ひとつにまとめ上げるということだった。
もし本当に統合的な心理学があり得るとすれば、その心理学は、前-近代(プレモダン)、近代(モダン)、後-近代(ポストモダン)のそれぞれの見方に含まれる本質的な洞察をすべて包含することになるだろう。
このことについて、簡潔にまとめてみたい。
CONTENTS
前-近代(プレモダン)からの贈り物
プレモダンの贈り物はなにか。
一言でいうならば、精神性/霊性(スピリチュアリティ)である。
(参考 精神性/霊性(スピリチュアリティとはなにか。)
精神性/霊性(Spirituality)とは何か。サブスキル考察と、信仰(Faith)、宗教(Religion)の違い#345
正しく述べれば、プレモダンの叡智は、永遠の哲学であり、大いなる存在の入れ子である。
それは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教など、古今東西、どの宗教にも共通した真理を示してくれた。
現実、自己、世界について、ホロン階層として様々な段階からなりたっている。認識論としても、存在論としても。
わかりやすくいえば、私たちの世界には、身体(物理界、生物学)があり、心(心理学)があり、魂(神学)があり、スピリット(神秘主義)という段階がある。
しかしながら、魂、スピリットは、モダン(近代)の科学によってないがしろにされてしまった。
ゆえに、プレモダンの叡智を私たちが適切に引き継ぐために、「精神性/霊性」を取り戻すこと、育むことにある。
それが人間の全体性を取り戻すことにつながり、世界を豊かに捉えることにつながる。
近代(モダン)からの贈り物
では、近代がもたらしたのはなにかといえば、宗教から科学へ移り変わり、科学による価値領域の差異化と分離が起きた。
近代が新たにもたらしてくれたのは、価値領域の差異化。
いろんなものが、ごっちゃになっていたものを、きれいに分化していき、それぞれに居場所を設けることができた。
特に、芸術、倫理、科学という3つの領域が分化したこと。
たとえば中世においては、ガリレオ・ガリレイは自由に報告できなかった。科学が何を主張していいのかも、教会が定めるところ(聖書)によって決められていた。
望遠鏡を通じてみたものをいえば、反逆の罪に問われた。
芸術においても、信仰に対して冒涜的な内容を絵に書くことはできなかった。
こうしたものが適切に分化されたことにより、それぞれ自由に探求できるようになった。
そしてそれらが、医学の驚異的な進歩や、自由民主主義の広まり、奴隷制度の終焉、女性解放運動の普及へと繋がった。
一方、近代の悲劇はなにかといえば、「差異化」が行き過ぎてしまい、ある部分を疎外するという「分離」が起きてしまった。
(参考 差異化と分離)
近代は、科学主義(科学的唯物論、科学帝国主義)によって、何を疎外(分離)してしまったかといえば、プレモダンが大切にしてきた精神性/霊性だった。
魂のようなものは非科学的なもの、幻想に過ぎないものとされた。
マックス・ウェーバーは近代を「世界の脱魔術化(disenchantment of the world)」という。
その特徴は、神の死、質的な差異の消失、質を量へ還元、資本主義の横暴、産業化による環境汚染、低俗な物質主義。
人間至上主義的な思想によって、地球環境はボロボロになった。
よって、モダンがもたらしてくれた価値領域の差異化を受け継ぎながらも、プレモダンがもたらしてくれた精神性を大事に、決して分離することなく、世界を豊かに捉えることを心得なければならない。
後-近代(ポストモダン)からの贈り物
適切な表現ではないが、わかりやすく単純化すれば、
プレモダン:精神性
モダン:価値領域の差異化
そして、ポストモダンは、それらをともに包括的であろうとする態度、多様性が、ポストモダンの肝である。
しかし、ポストモダンにも負の側面がある。それは、多様性を大事にするがゆえに、すべてを尊重しすぎてしまう価値相対主義に陥ってしまった。
相対主義は素晴らしいことだが、それぞれを尊重するのみではバラバラな状態である。
会議で、全員の意見を尊重して意思決定できないのと同じ状況が起きてしまう。
なにごとにも一定の質的な差異はあり、真に統合的、包括的な態度は、相対主義な態度を大事にしながらも、そこからさらに質的な差異を見出し、バラバラなものを統合するような態度が求められる。
では、そのような態度に向けてはどのようなことが重要になるのだろうか。
ウィルバーは、重要な3つの前提を述べている。
・構成主義
・文脈主義
・統合的-非視点的
の3つである。
体現するための3つの前提
とくにこの3つは、哲学における言語論的転回と呼ばれた変化が大きい。
言語論的転回とは、言語は、与えられた世界を単に表象するものではなく、世界を創造し構築することに関わっているものであるという認識にたつこと。
ウィトゲンシュタインの言葉にある「私の言語の限界が、私の世界の限界」ということになる。
これにより、言語を用いて世界を記述することをやめて、言語そのものを見つけるように言語分析へと移行した。
これを踏まえて、先ほどあげた3つの1つ、構成主義とは、現実は与えられたものではなく、解釈(構成)されたものと捉える。
そして、文脈主義とは、意味は無数に広がる文脈に依存しているため、文役を汲み取ることを重要視する。
最後3つ目の統合的-非視点的。
非視点的とは、どのような単一の視点も特権化されないことを意味しており、多数の視点からアプローチすることを示している。
これらの3つにより、ポストモダンが大事にしている多様性で包括的な態度を実現しようというのが、ウィルバーがインテグラル心理学において伝えてくれたメッセージである。
2021年12月25日の日記より