時刻は11時30分。
先日、尊敬するコーチに、加藤さんのジャーナルを紹介したのだが、今朝方メッセージが入っていた。
ジャーナルを読んで自己の中にある葛藤がうまく統合してきたことが書かれていて嬉しくなった。
そこにはシャドー(無意識のうちに抑圧された欲求や感情)や恐れの内容を共有してくださっていて本当に貴重でありがたい仲間だと感じている。
私自身のシャドーや恐れに目を向けていくと、私にはまだまだ向き合わなければならないものが多いように思う。
こういったシャドーは、無意識とあるだけあって、気付くことはそもそも難しい。
厳密にいうと、気付きやすいものと、気づきにくいものがある。
どちらにしても、気付けるというのは本当に尊くて、シャドーの問題は実は気づいた時点で、治癒される側面が多いようにも感じている。
気付くだけでは統合されていなくとも、そこに関心、意識があるだけで、日常の些細な出来事から自然と統合されていく側面もあると思うのだ。
また、今回の友人の葛藤内容を読んでいて、「許容」「包含」というのはすごく大切なキーワードのように感じる。
発達の過程は、死と再生を繰り返し、弁証法的に差異化と統合をくりかえし含んで越えていくのだが、徐々に過去矛盾のように感じていたことが統合されていく感覚が増えていく。
今私自身が統合的段階、ビジョンロジック段階への過程で、「絶対的真実」は何なのか?という問いがある。
何が正しいかはその個人や文脈によって変わるよね、というグリーン段階の相対主義的な発想は、「相対的真実」であって、一方「絶対的真実」がある。
絶対的真実は、非二限なのではないかという仮説があるわけなのだが、これは発達とともに多くのことを統合していくがゆえにたどり着く段階になる。
そのためには、発達の意識を上へ上へいくのではなく、下へ下へ向けていくことがより大切になる。
それぞれの発達構造上の積み残された課題、シャドーの課題があって、それらを健全なものへと解消していくことが結果的にトランスパーソナルな段階へと移っていく。
2021年4月26日の日記より
2021年4月29日