今日は一年分くらい泣いた気がする。
昨晩、とても大切なことに気付かされる時間だった。
インテグラル理論を一緒に探求しているお仲間で、北海道で内科医をされており、初めてその方の人生を聞かせていただいた。
お母さんの病を治すために20年前に医者になったが、10年前に母を亡くされたとのこと。
それを機に、「死と喪失という体験から、人として成長できる場をつくりたい」とのことで、緩和ケア(※)への道へと歩まれた。
(※)緩和ケアとは
病気によって生じるあらゆる苦痛や問題に対応して、よりよい人生を送るケアをすること
そのお話は、涙なしには聞けない話だった。
私自身は、自分の死と向き合ってこなかったことに気付かされた。
いや、厳密には、考えてきた。
ただ、いざ死を目前にしなければ、本当に本気で真剣には、向き合えてこれなかった。
でも、ようやく機が熟したように思う。
今日偶然にもセッションを受ける日だったので、友人にお願いした。
自分の死と、本気で、真剣に、向き合いたいと。
設定の仕方はいくつかあるが、私なりに今最も真剣に考えられる設定として、「今、余命1年の宣言をされたら」とした。
たった30〜40分のセッションだったが、不思議と、とっても幸せで、温かい気持ちになった。
自分のために、感じたことを少し残しておきたい。
CONTENTS
「自分が余命1年であることを家族や友人に伝えるのか?」
まず、「自分が余命1年であることを家族や友人に伝えるのか?」
という問いをいただいた。
私にとって、これがとても大切な問いだったようだ。
開始そうそう涙をこらえきれなくなり、zoomの画面をオフにさせていただいた。
将来どう判断するかはその時の自分に任せるが、今の自分は、自分が1年しか生きれないこと家族や友人に言いたい。
「残された」という表現が適切かわからないが、残された人が、後悔するかもしれないと思った。
少なくとも、もし私が逆の立場だったら伝えてほしい。
生きている間に伝えたいことがやっぱりある。
それは祖父が死んだときに思った。
私の命や死は、私だけのものではない。
私の死と向き合うのは、私だけでなく、私の家族や大切な友人たちにとっても向き合わなければならない課題。
残された家族が、私の死と向き合うことが、今なのか、1年後なのかの差なのであって、いずれにしても避けては通れない苦しみ、喪失感がある。
それならば、私と一緒に死と向き合っていけないかと思う。
死というものが、消して辛いことだけではないということを、体感として味わっていけないかと。
一緒に乗り越えていけないものかと。
「何をしたいか?」
続いて「何をしたい?」と言われ、最初に出てきたのは、不思議なことに
「日記を書きたい」
だった。
このセッションを全体を通じても、それ以外、さほど大事に思えなかった。
本を出したいとか、世界中を回りたいとか、そんなことも思ったけど、
日記以上に大切には思えなかった。
たしかに、家族と一緒に過ごしたいとは思った。
家族と一緒に登山をしたり、温泉に入ったり、世界遺産をみたり。
そんなこともできたら嬉しい。やりたい。
でも、実際、母には母の人生が、父には父の人生、パートナーにはパートナーの人生があって、仕事やいろんな兼ね合いで、どれだけ私との時間を過ごすかは、もはや私の決めれる範疇ではない。
それぞれ可能な範囲でできたら、もうそれで十分に思う。
それ以上に、私ができることとして、一番重要なのは日記だと思った。
おそらく、私の死後、母や父、パートナーはとてつもなく辛い喪失感をもつと思う。
わからないけど、もしかしたら、もう少しこんなことしてあげたら良かったんじゃないか、と思う瞬間が何度かあるかもしれない。
そんな時、私の残した日記をみて、
私がどれほど感謝しているか、
私がどれほどのギフトをもらってきて、
私がどれほど満たされているか、
そんなことを感じ取ってもらえたら、楽になれるんじゃないかと。
だから残しておきたい。
生命の責務
日記を書きたい理由は他にもある。
その日記は、今と同じように公開していくつもりでいる。
家族や大切な友人だけでなく、もし、私と同じ境遇に苦しむ人がいたのなら、私の日記を通じて、何か勇気をもらえるかもしれない。
私は日記というものを通じて、
「自分に息づくものを社会に差し出したい。」
そんなふうに思う。
それが役立つか役立たたないかとかはどうでもいい。
そんなことは受け手が決めることである。
私は、有り難いことに、生をいただいた。
命をいただいた。
多くの人にたくさんのギフトもいただいた。
微々たるものなのかもしれないが、少しでもお礼になればと、自分に息づくものを社会に差し出すことは、自分の責務ではないかと思った。
途中やりたいこととして出てきた、曲をつくりたい、絵を描きたいというのも、日記と同じで、私の息づいているものを社会に差し出す手段なんだと思った。
最後どんな風に死ねたらいいか
そして、1年後、自分が死ぬ直前のときをイメージした。
この時、温かい気持ちになった。
おそらく、死を発表してから、死ぬ直前までの1年間に、私が死ぬことを知ったら、駆けつけてくれる友人がいる。嬉しい。
公開されている死と向き合う日記を見て、誰か連絡もくれるのかもしれない。なくてもいいけど、いくつかあると嬉しい。
母はずっとそばにいるだろう。
でも、心残りみたいなものがあるとするならば、やっぱり家族のように思う。
先に死んでしまったことを申し訳なく思うし、残された家族は、前を向いて、それぞれに自分の人生を堪能してほしいと思う。
めいいっぱい楽しんでほしいと思う。
だから、家族から「大丈夫。私はこれから名一杯楽しんで生きる。」
そんな前向きなことが聞けたら嬉しいなと思う。
そのために、死ぬ直前まで楽しんでいたい。
こんなことも全部、素直に話できてたらどれほど嬉しいだろうか。
心残りはなく、安心して死を迎え入れられる気がする。
私が大切にしたいこと
さて、今日の自分の死の疑似体験を通じて、改めて大切にしたいことをまとめたい。
私は、いつでもどんなときでも、私に息づいているものを社会に差し出したい。
それがどんな手段なのかはその時に任せるとして、ただ日記はやっぱり好きだから、毎日綴りたい。
それが役立つか役立たないかというような考えなど手放して。
他にも、曲や絵でも表現していきたい。
そして、私との対話、セッションにおいても、私からの問いやアイデアというものを通じて、息づいているものを差し出させていただきたい。
それから、その瞬間瞬間、私が感じることを素直に伝えたい。
「ありがとう」なのか「ごめん」なのか、不器用な伝え方でもいいから
素直にありのままを出し続けていたい。
2021年5月27日の日記より
2021年5月29日