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日記「あじわい」

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対人支援者として、実存的な苦しみにどう寄り添うのか#356

対人支援者として、実存的な苦しみ、葛藤に対して、どのようにして寄り添うことができるのか。

苦しみが深ければ深いほど、対人支援としてできることは非常に微々たるものに思う。

ましては、対話療法に絞ればなおのこと。

しかしながら、いくつかのポイントについて、実体験を交えながら残しておきたい。

実存的な苦しみ

実存的な苦しみというのは、自分の生きる意味、拠り所にしていたものを喪失することにより、生きることが難しくなるようなことをここではいっている。

それは、長年人生をかけてきて、自己を規定してきた根本的なものであればあるほど、苦しみは大きい。

空虚さゆえに、現実社会と適応できない。

事例1 依田さんというオリンピック選手の自殺

たとえば、わかりやすいのは、以前為末さんの記事でみた依田さんというオリンピック選手の話だ。

https://note.com/daitamesue/n/n942806bc5ee2

依田郁子さんという東京五輪の陸上選手が、引退後の生活に適用できず自殺してしまう。

仔細わからず、あくまでこの記事を見る限りではあるが、競技スポーツというゲームに長く人生をかけてきたがゆえに、自己が同一化してしまい、そこからなかなか脱することができなかった。

日常生活は競技や勝ち負けではないことは頭ではわかってはいながらも、なかなか呪縛を解くことは容易ではない。

事例2 自分自身の体験例

私自身も、20代で公務員を辞めてベンチャー経営し、数億円規模という年商まで伸びたものの、その後状況が一変し、無職になる。

ビジネスの中で成果を出すことに自分の存在価値を感じていた私にとって、金銭的にも精神的にも苦しい状態になった。

もちろんビジネスの中で自分の存在価値は一部であることを頭ではわかっているものの、なかなか呪縛を解くことはできず、生きることは難しいものになっていた。

支援の仕方1:信奉する物語、世界観を見抜くこと

こういったケースに、色んな支援の仕方があるが、1つ自身の実体験からいえることは、まず、その人が信奉している物語、世界観を見抜くことが、対人支援者側に求められると思う。

クライアントに寄り添い同じように苦しみを感じながらも、一方で冷静にクライアント自体に息づく物語、世界観、を洞察する。

物語や世界観といっているのは、わかりやすくは、根底にある信念のことである。

この世界をどのように捉えていて(世界観)、自分をどのように捉えているか(自己像)、自分の人生をどのように捉えているのか(人生観)といった類いのものだ。

支援の仕方2:物語が虚構であることを体験を設計する

こういったことはどれも思い込みである。

それゆえ、それが虚構であることに気付くために、その自分の信念を揺らがせるような体験をつむことが重要となる。

たとえば、私の場合、
「人間は未熟では価値がない」
「自分の存在価値を高めることにビジネスが最も有効である、ビジネスでこそ人は成長する」
といった強力な信念があった。

幸いにも意図せず、1年ほど無職という全くビジネスとは違う経験をすること、家族に支えられたことで、その信念が変わった。

つまり、その個人が信奉する信念とは対極にあるような経験を設計し提案することが重要に思う。

支援の仕方3:物語は虚構でありながら現実でもあるという二重生活を送るための知恵を提供する

一方、今までの物語が虚構であることを痛感すると、もうそれを実施することがバカバカしく思え、現実社会とますます適応できなくなる可能性が高い。

しかし、その物語は虚構でありながら、1つの現実でもある。

まさに仏教のいう「色即是空空即是色」ということになる。

私でいえば、たしかにビジネスはごく一面にしか過ぎないことを体感として得るのだが、現代の貨幣経済、資本主義というお金の問題から逃れることはできず、あえてそのゲームで生きる必要もある。

そこで、ビジネスは、自分は1つの役割として全うし、二重生活ができるようになる。

まとめ

このようなことから、あくまで支援の1つの仕方ではあるが、次のことが重要ではないかと感じています。

(1)その人が信奉している物語、信念は何かを見抜くこと

(2)その上で、それを緩める、ないし虚構と痛感するような体験を設計すること

(3)その後、物語が虚構と知った上で、それは虚構であるが現実でもあることを踏まえ、1つの役割として生きる知恵を与えること。

このようなことが重要だと思っている。

2021年12月5日の日記より

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