今受けている講座の事前課題で、
対人支援者としての自己の「強み」や「長所」は何か?
という問いに取り組む必要がある。
まずこれにあたり、自己認識(自分で自分を認識していること)と他者認識(他者からみた私への認識)は異なることから、親愛なる仲間に、この問いを投げかけて、その両面からみていくことにした。
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問いの細分化
とはいえ、誰にこのフィードバックをもらえばいいのだろうか。
この問いは、個人的には、次の2つを押さえておく必要があるように感じる。
(1)人を広く深く多次元的に捉える力
まずは、自己や他者といった人を、どのように広く深く多次元的に捉えられるか。
同じ映画をみて、感じ取ることが違うように、同じ人に触れても、感じ取れることは異なる。
ゆえに、まず人を捉える力の豊かさが必要になる。
(2)対人支援者という文脈を深く理解していること
その上で、単に「自己」の強みではなく、「対人支援者としての自己」の強みなのである。これ自体をどう捉えるか。
もちろん対人支援の場には、自分の存在すべてが出るため、「対人支援者としての自己」は対人支援の場を外した自己とも一致するとは言える。
だが、とはいえ、その対人支援の場を外したとて、それは支援の場においてどのような文脈において影響があるかは押さえておく必要がある。
つまり、あなたにとって対人支援をどう捉えているのか。そして、それに必要なあり方やスキルといったリソースを何と捉えているのか。
この2点を押さえた上で、仲間に連絡した。
他者からみた自己の強み
では、他者からのフィードバックについて、その一部に過ぎないのだが、代表的なものを残しておきたい。
(1)ご自身の弱みや不足も認めつつ、それを悪としないで需要できるしなやかさ。
セラピストやコーチなど、特に一対一で深くクライアントさんと関わる者は、まず自らの存在のあらゆる面を受容包含できなければ、クライアントさんを評価判断なく受け入れることは難しいのではないかと思います。弱さを知っているだけでなく、それを隠さずにいられる強さ。それがあってもいいし、それを持ち続けても手放しても良いという柔軟さがあることで、同じようにクライアントさんの中にある、ご本人が向き合いたくないと恐れているものに向き合うことを励ますことが出来、ともに居ることができるのだと思います。
(2)あくなき知識欲と向上心。ご自身の発達を希求する気持ちの強さも対人支援者としての大きな強みだと思います。
人の心、行動、意識はとても深い領域で、探求してもしても、人の一生では探求しきれないでしょう。インテグラルサイコセラピーの本にもあったように、支援者、セラピストの発達度合いが深いほど、大きいほど、理解できるクライアントさんの悩みの幅も広がっていくと思っていて、だからこそ、常に向上心をもって学体験し続ける、実践を続けるじゅんさんの姿勢は素晴らしいと思います。
(3)今を楽しむ気持ち
初期の対人支援者は往々にして、変な使命感を持ちがちです。自分がクライアントさんを救うんだとか、悩みを解決し、ゴールに導くんだとか。または解決を急いでしまったりしがちのように感じます。でも、進むのも解決するのもクライアントさん自身であり、対人支援者の過度な気負いは時にそれを妨げることもあると思っています。使命感からではなく、自分も楽しいからセッションをする、コーチをする、学びを深めるというのは、一見自分のためのようでいて、とてもクライアントさんのためになる在り方で、強みだと思います。
強みを伝えること
まずもって、この問いに対して真摯に返してくれた仲間が本当にありがたかった。そして、その返答に、想像以上に喜ぶ自分がいた。
この感覚はとてもパワフルだ。
私自身は、他者に対して、ある程度少ない情報でもその人の見て、勇気づけすることがおそらく得意な方であり、こういったフィードバックを私自身も日常から伝えたいと改めて思った。
他者から受けたフィードバックから感じること
さて、上記の抜粋以外も含めて、他者から受けたフィードバックを踏まえて、感じたことを残したい。
まず、どれも私自身が意図的に大切にしていることであると思う。
しかし、それがどれだけ体現できているかは、また違った話し。
今回それが他者を通じて返ってきたということ自体が、一定度合いの差はあれど、他者からみて体現できていると写っていることに、ものすごく嬉しいし、自分という一人の人間を褒めてやりたい。
自己で認識する強み
続いて、自己で認識していた強みについて述べたい。
が、実は他者からフィードバックいただいた点が、まさに自分のリソースではないかと認識していた点ゆえに、あえて、そこに入らなかった部分をここでは書きたい。
(1)感染力
言うまでもなく、対人支援者は、セラピストとクライアントの2人のでつく上げるもの。そして、それはセッションのときはもちろんのこと、セッション以外においても。
セッション時においては、自身の意識状態やエネルギーは、創発に大きく影響をもたらし、セッション外においても自身の振る舞いは、直接的でなくとも影響を及ぼしている。
それは、専門家とクライアントという構造から一定くるものがあるのだが、それ以上に、私自身の感染力が大きいように思える。
たとえば、1つの現象を深くあじわい探求しようとしたするからこそ、クライアントも深く探求ができる。感情をこめて喜んだり悲しんだりするから、感情とつながれたりする。
(2)中性的であること
私自身は、男性的でありながら女性的でもある。セッションにおいては、おそらく対極性というものが1つキーになる。
それは時に
・受容的であり、能動的である
・動的であり、静的である
・上昇的(エロス)であり、下降的(アガペー)である
・内的であり、外的である
・自力であり、他力である
といった、その瞬間瞬間で微細に感じ取って関わることが重要になる。
これらは、連動して、男性的ないし父性的であり、女性的ないし母性的であることも関連しているように思う。
ここまで書くと、未だ自分の強みとは思えないが、自分の中にそういったリソースがあるのではないかと思う。
問いの見直し
こう考えると、
対人支援者としての自己の「強み」や「長所」は何か?
というより、
対人支援者としての自己のリソースは何か?
のほうが、やや自分の根っこに近い感覚であり、未来にかけてこれから開かれている要素も含むことができるだろう。
一方前者の方は、やや対外的でもあり、市場の反応も含めることができるよさがあるように思う。
自分の強さが抱えるリスクや悪影響は何か?
あえて、強さで語るならば、セットで問うておきたいことがある。
その強さゆえに抱えるリスクや悪影響は何だだろうか?
(1)感染力
というのは、誤ったことを伝えてしまう恐れもある。それゆえに、高度な倫理観も求められるだろう。
(2)探究心
これもいくつか要素がある。
まずは探求する方向性。進化(コンフォートゾーンを越えるイメージ)と内化(あるべきところに立ち返る)この2つが大事になる。
どちらかというと引力があるのは、進化。知らないものを知ろうとする、自分の未知に開かれるものであるが、一方で「足るを知る」ということに向けた探求も押さえておいたほうがいい。
それはある種探求を手放すということによって起こる探求というパラドックスを踏まえた探究心をもっておきたい。
でなければ、知という広大な海に対して、いつまでたっても満たされぬまま疲弊してしまうだろう。
また、探求は没入と言う要素もある。それにハマりすぎるがゆえに、全体性を見失う可能性がありそうである。ここもリスクとして押さえておきたい。
さて、ここまで書いてみて、改めて感じるのは、このテーマはあまりに深いテーマだ。
引き続き色んな角度から思索にふけりたい。
2021年12月7日の日記