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日記「あじわい」

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この世にいること#392

私は、前世というものがよく感じられていません。

しかし、もし私の命に、何かしらの運命があるとすれば、

それはこの世のすべてを愛し、愛そのものとして生きるために生まれてきたのではないだろうかと思うのです。

この33年の年月をみるだけでも、私の中心には、家族と愛があります。

私は4人兄弟の末っ子として、阿世賀家という非常に愛深き家に生まれ育ち、それゆえに幼い頃から人を好きになり、学生時代は恋多き人であり、恋に育てられ、恋に生きてきた人でありました。

夢は、両親が築いてきたような家庭を築くことでもありました。
それゆえに公務員を選びました。
私の基軸は、常にパートナーの存在がありました。

それから冷めたのは、25歳の頃です。
私は最も愛していた人を、自らの未熟さゆえに、自らの手で壊してしまいます。

それは、自分にとってはあまりに苦しく辛く、その罪深さから、自分の命を絶とうするまででした。

両親や仲間の存在もあり、なんとか生きながらえ、十字架を背負い生きてきました。

公務員を辞めた真の理由は、これまで私の拠り所だった愛を捨て、仕事を拠り所にして生きるためでした。

すべてを仕事に捧げることで、社会へ貢献することが、罪滅ぼしでもあり、純粋に生きる喜びでもありました。

時は流れ、31歳の頃、会社経営はうまくいかず、すべてをかけてきた仕事を喪失し、いよいよ拠り所にするものはなくなり、生きる意味を失うことになります。

しかし、時の流れとともに、罪や喪失や悲しみは、私にとって大きな贈り物であることを教えてくれ、呪縛からは解放されていきました。

それから、人生は私をまた一段深い愛へと導いてくれます。
このようにあなたと出会ったことを通じて。

私は、この地球を1つの家族だと思いたいのです。

愛しむということは、悲しみを育てることでもあります。

世界の深みにおいて、悲愛とでもいうべきものが、この命に、勇気と希望を与えてくれます。

だから、私は愛そのものになり、この世界を抱きしめたいのです。

2022年2月6日の抒情詩#2より

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