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日記「あじわい」

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映画「Journey of the Universe ~宇宙の旅~」と長田弘の詩#408

先日、映画「Journey of the Universe ~宇宙の旅~」という映画を観た。

冒頭は、こんな問いから始まる。

Who we are, how we got here, and where we are headed?

私たちはどこから来たのか?

どうしてここにいるのか?

そして、どこに向かっているのか?

本映画では、宇宙が生まれる時まで遡り、現代までの壮大な宇宙の旅が描かれる。

生起する感覚

この映画を見て、自分の中に生起する感覚は、「ありとあらゆるものが、私たちの家族である」という感覚だった。

宇宙が誕生し、星を生み出し、地球を生み出し、火山を、大気を、海を、植物を、動物を。

そんな流れを映像とともに見ると、
「今、夜空に見える星は、わたしたちの祖先であるんだ」
って気付かされる。

大気さえも、命なんだって、思えてくる。

地球も脈打つ生命なんだって感覚が生まれる。

そんな偉大な大いなる生命の連なりのもと、私は生まれた。

私の生命が、どれほど偉大な連なりの中で生まれてきたことを考えると、ただただ、畏怖、畏敬という言葉でしか言い表せれない感覚になる。

私の個人的・社会的経験など及びもしないくらい大きな何かに参加しているという誇らしい感覚があるのだ。

深い静かな喜びと出会うような。

とある1つの詩

そんな中、今日、長田弘さんの詩集を読んでいると、とてつもなく感動する詩と出会った。

詩は、音読するようにしているのだが、これほどまで、ゆっくり読み上げたいと思った詩はない。

誰かに、読み聞かせる時は、ゆっくり、ゆっくり、読んであげたい。

こんな詩だ。

「はじめに・・・」長田弘

星があった。
光があった。
空があり、深い闇があった。
終わりなきものがあった。
水、そして、岩があり、見えないもの、大気があった。

雲の下に、緑の樹があった。
樹の下に、息するものらがいた。
息するものらは、心をもち、
生きるものは死ぬことを知った。
一滴の涙から、ことばがそだった。

こうして、われわれの物語がそだった。
土とともに。微生物とともに。
人間とは何だろうかという問いとともに。
沈黙があった。
宇宙のすみっこに。

こうやって書いていると、本当に贈りたくなったので、大切なあなたへ贈ります。

今日、長田弘さんの詩集を読んでいると、とても素敵な詩と出会いました。文脈もないけど、なんとなく、贈ってみたく、録音しました。
静かで星が光る美しい夜に、瞑想のお供にしていただけると嬉しいです。

3月27日の日記より
4月10日公開

 

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