人類が初めて宇宙にいったことは、ディープエコロジーの文脈においても革命的だったようなニュアンスを、実に多くの書籍や映像でみる。
それは、地球を初めて客体化してみることができた。
地球の全貌を見た瞬間、地球が1つの生命システムのようだと。
ガイア理論は本当にそうだったんだと。
しかし、本当にそうなのであろうか?
私はこれが逆な気がしてならない。
ディープエコロジーにおいては、むしろ悲劇な気がしてならない。
当たり前だが、宇宙から地球をみることと、地球を感じることは全く別ものだ。
何も宇宙で地球の全貌を見ずとも、地球を感じることができる。
地球の美しさは、全貌を見ずとも、あらゆるところで感じ取ることができる。
むしろ、全貌を見ずに感じ取っていくことの方が、真に畏怖や畏敬を含んだ実感が含まれ、重要に思えるのだ。
目に見えるものばかりに意識がいって、
大切なことは目に見えない。
本質的には、目に見えぬものを確かに感じ取っていくことが、ディープエコロジーにおいて何よりも大切ではないのだろうか。
2022年9月22日の日記より