気付けばちょうどジャーナリング(日記)を公開して1年が過ぎていた。
日記というのは実に尊く、アンネ・フランクにとってもそうであったように、私にとってはセラピーそのものである。
しかし、日記を書き続けることと、公開していくことはまた別の意味がある。
1年公開することによって、たかが1年ではあるが、日記の素晴らしさを身を以て体現したように思う。
しかし、この気持ちも、押し付けるものでもない。
なんとなく公開すること自体緩めていってもよいのではないかと、久しぶりに鴨長明の方丈記を手にとった。
私の中で、勝手に人間らしい緩さとして刻まれている。笑
今読むと気になったことは、仏教というもの自体にも、いくつか大きな大前提が置かれている気がしてならない。というかある。
それが仏教の魅力を作り出すとともに、盲点や限界を作り出している。
それが何なのか、いまだ仮説がいくつかありながら自信がなく、ここには書かない。だが、自分にとっては仏教を愛し、仏教に冷めるために、今の自分なりに問いをもっておきたいのだ。
それにしても、鴨長明の文章の美しさには惚れ惚れするし、生き様に心動かされるし、最後の終わり方も美しい。
中には、どこか自分と重ねる部分もある。
無常ゆえに、日々新しいものと出会い、ゆらぐ心を残し、立ち現れる思いを書き、小さな気付きを綴る。
私も自分の心のままに。
2021年12月24日の日記より