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日記「あじわい」

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私の日記ではなく、私たちの日記#105

久しぶりに実家に帰り、家族と話をした。

父、母、祖母、私の4人で食卓に座りながら会話をする。

9月で90歳を迎える祖母には、デイサービスで何をしているのか聴く。

コーチングでも基本だが、傾聴するだけでも、本人が話をしていくうちにどんどん整理されて、気付きが起きる。祖母も、楽しそうに話す。

私の頭の中にも祖母がデイサービスで体験している情景を頭に思い浮かべながら代理体験させていただく。

コーチングを仕事にするしない別にして、もはや傾聴スキルというのは、必須であるし、自分の認識世界を広げるためにも重要であることを改めて感じる。

グリーン段階からは、オレンジ段階以上に多くの視点取得ができるわけだが、それは傾聴スキルが密接に関わっている。

また、4人で話をすると、いろんな会話が創発的に起こる。

どの会話も、実は今日この4人でこのタイミングで話をしなければ生まれなかった会話ばかりでないかと感じる。

デイサービスの会話から、母の観察力は素晴らしく、良いフィードバックも起こる。

祖母がデイサービスに通い始め、元気になっていったという。他者と関わることで、祖母の脳も活性化されているのだろう。それを聞いて祖母もデイサービスが前向きになっていく。

一方、父も68歳にして、大きな挑戦をする。

祖父が生きていたらどんな反応をするだろうかときくと、祖父はこういうんじゃないかとか、祖父の色んな話が出てきて、まるで祖父と話をしているような感覚になって、私のみならず、父も母も祖母も温かい気持ちになったように思う。

祖父に生前、祖父の人生の話、阿世賀家の家系の話をインタビューした。
その時色々聴いてたと思っていたが、今日改めて祖父の話をきくと、知らないことだらけで新鮮だった。

真面目で正義感強く、自分を律しながら、多くのことに全力で挑むの姿勢は、祖父、父、私へと受け継がれているのことを感じた。

そういえば今日昼間、1つ驚いたことがあった。

どうやら父が私のこの公開している日記を読んでいるらしい。

父と母のことも時々書くこの私の日記を見て、どんなことを感じるのだろうか。

これは単に私が自分自身のために書いているただの日記に過ぎない。

それでも、もし何か少しでも治癒や気付きが起きるならば、それほど嬉しいことはない。

20年後、いつか来る我が子が大人になって、もしこの日記に触れることがあれば、どのように感じるだろうか。

今この瞬間、私と同じように悩む、葛藤する、あるいは関心のある人が読むと、どのように感じるだろうか。

拙い日記だが、私に息づいているものに触れて、何かのゆらぎが起き、そのゆらぎが回り回って、私へのゆらぎとして伝わってきて、また別のゆらぎが起きる。

この日記に書かれる言葉たちも、たまたま私という身体を通じて記録されていく偶然の産物に過ぎないのだ。

その意味で、この日記は、私の日記ではなく、私たちの日記なのかもしれない。

2021年3月28日の日記より
2021年3月29日

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