遺伝学者村上和雄さんの死去を機会に、友人からいくつか動画を共有いただき、ドキュメンタリーをみていた。
ドキュメンタリーの中には、福知山線脱線事故によって脳に障がいをおった親子のお話があった。
2005年の4月25日で、ちょうど今日から16年前。
当時三田にいて高校生だった私にとって、いつも乗っていた路線で起きたことに恐怖を感じたし、友人の家族が亡くなったことも思い出した。
ドキュメンタリーの親子は生き死にをまさに身をもって感じられていた。
100数名もの死者がいる中で、こうやって奇跡的に生かされているという発言は重い。
私も乗っていてもおかしくなかっただろうし、私の父や兄も乗っていてもおかしくなかった。そう思うと、私のこの命も生かされているのである。
ドキュメンタリーのお母さんはものすごくパワフルだった。
事故にあった娘と、脳に障がいが残ったままではあるが、毎日のようにありがとうと感謝を伝えてくれるから、親冥利に尽きるとおっしゃっていた。
普通は結婚式や死ぬ前にいうような言葉を、毎日のように感じれて、最高の人生です、と力強かった。
生きているだけでいい、と命そのものに感謝していることを、お母さんは身をもって感じている。
私自身はどれだけ思えるだろうか。
経験にまさるものはなく、私はこの親子のように命を体感として捉えられていないだろうが、それでも、この1日、目の前のできごとに感謝をしていきたいし、それを言葉にしていきたい。
さて、村上和雄さんのような遺伝子工学の話は、右上象限(個人の外面)だが、これが左上象限(個人の内面)と密接に関係しあっている。
村上さんは、日本人には珍しく魂への関心が高い。
心の遺伝子の領域から魂の遺伝子を科学的に解明したいとおっしゃっていたのが印象的だった。
ウィルバーをはじめ、多くの方がポストモダン後の科学万能主義に警鐘を鳴らしているわけだが、日本全体にとってもそれは同じ。
脳科学の話になると納得感をもつ人がどれだけいるか。
魂も含めた真の全体性への回復は、こういった脳科学のような右上象限(個人の外面)を通じて、左上象限(個人の内面)に連動する形で起こることも、時間をかけてだが起きてくるのだろう。
科学万能主義が無意識の中に刷り込まれた現代において、この集合意識を変えていくには、それが効果的であることを感じる。
最後に、村上さんがおっしゃっていたこと
自分たちの身体は宇宙からの借り物。
私たちは宇宙のひとかけら。
借り物だから返さないといけない。
だから皆死ぬ。
貸主は誰か。サムシング・グレート。
借り主は身体でも心でもなく魂。
魂の遺伝子を科学的に解明したい。
2021年4月25日の日記より
2021年4月28日