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日記「あじわい」

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ウクライナ・ロシアに向けた対話と祈りを終えて#410

時刻は、22時15分。

今しがた、ウクライナ・ロシアに向けた、対話と祈りを終えた。

本当に尊い時間になり、心がとても温かい。
名状し難い感覚がある。

振り返れば、2/24に戦争が始まって以来、私の中がざわつき続けている。

戦争自体は、21世紀なってからも、アフガニスタンにしても、イスラエルにしても、シリアにしても、ミャンマーにしても、コンゴにしても、色々あるはある。

でも、ここまで大々的なものって、自分が生きているときに初めての経験だ。

「自分に何ができるんだろう?」

って、ずっと思っている。

はじまった頃は、「今俺はここで仕事なんかしていていいのか?」とさえ思っていた。

しかし、開戦して2か月が経とうとして、良くも悪くも、いや、いい意味で、共感だけではない、冷静さを取り戻している。

僕らにできることって、直接的、ないし短期的には、寄付やデモとかに政治に関与することになる。

でも、今、日本で日本人であるという役割は、間接的、ないし長期的に取り組むべきことがある。

「人間はどうして戦争を起こしてしまうのだろうか?」とか
「軍事ってなになのだろう?」とか
「政治のあり方って何なのだろう?」とか

色々今後長期的に考えていかないと、何か実行に移していかないといけないことはあまりにたくさんある。

私は、今回のことがなかったことのようには決してしたくない。
この悲痛を、うけとめて、希望につなげたい。

その思いで、今日、ジョアンナメイシーのつながりを取り戻すワークを活用しながら、今回の痛みを大切にする場を作れたことは本当によかった。

やってみて感じたことも忘れぬうちに、残しておきたい。

今日の時間は、私は場のファシリテーターをしながら、1人の参加者としても参加して行った。

やってみると、どこか自分の言葉が、すごく部分的なものに過ぎぬ感覚を覚える。

しかし、みんなで対話することで、他者の言葉が、私の言葉のように感じ、徐々に、私の感じている全体を感じられるようになっていく。

一人で内省することをとても大切にしているが、あまりの悲痛ゆえに、言葉になかなかできぬテーマは、みんなの対話が本当に有難い。。。

そして、最後の祈りの時間。

「私たちに何ができるんだろうか?」

遠い我々にとっての一番は、祈りではないかと思うようになり始めてきた。

もちろんそれだけではないことも重々承知している。

それでも祈り、いや慈悲は、すべての基底であるように思う。

だから、祈りの時間を、私の生活の一部にしたい。

より正確には、私がその慈悲そのものでありたいとさえ思う。

慈悲を、とても、とても、とても大切にしたい。

今日も感謝を捧げて。

2022年4月15日の日記より

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