禅の教えの基礎に、わかりやすい十牛図をつかって学ぶのだが、今日見て思うことは、この10枚目だなと思う。
悟った人が「だらしなさそうで、太ったおっさん」として出てくるのが愛らしい。
すました態度で出てくるわけでなく、ただ純粋に陽気に楽しんでいる。
老子も仏教もキリスト教も、赤ちゃんのようになると何度もでてくるわけだが、これを忘れてはいけないなと、こんなあり方でいたいなと思う。
実家で90になる祖母を見ていると、あかちゃんのように可愛い。
年々優しくなっているように思う。
「ごめんね〜」「ありがとう〜」
って、そんな言葉が些細なことからたくさん聴こえてくる。
今の私は、十牛図でいえば、5枚目の牛を手懐けるか、6枚目の牛に乗るところ(インテグラル理論でいうケンタウロス段階)くらいだろうか。
1つ1つ私なりのペースで発達していくのだろうが、いつのときも10枚目のように純粋なあかちゃんに立ちかえることを、今この瞬間から大切にしたい。
2021年5月18日の日記より
2021年5月19日