この4連休、自分の想定以上に、オリンピックに釘付けになる。
オリンピックってこんな泣けたっけなというぐらい、なんか見てて泣けてくる。
白血病と戦った水泳の池江選手のは、そりゃもうもちろんなんですけど、柔道48kg級の銀メダルの渡名喜選手も、決勝戦で負けて、礼をして退場した瞬間、うずくまって泣いている姿見ると、泣ける。。。
そんで、
「俺は今、ここまで人生かけて、命をかけて打ち込めているんだろうか。」
って思った。
「お前も悔しくて泣けるくらいやれてるんのか?(あるいは嬉しくて泣けるくらいやれてるのか?)」
って。
それは、単にがむしゃらに走り続けりゃいいってもんじゃないことはわかっている。
休むときは休むし、それも大事。
ただ、なんだろう。
圧倒的な自己一致感。(思ったこととやっていることが一致している)
今この瞬間に集中し、全身全霊でやる。
とか、それが今の自分にまだまだ足りないことをものすごく感じさせられた。
昨日公開したキャンプで感じた老子の「無為自然」って書いたが、このあり方は、ありのままでいるという一見コンフォートゾーンにいない感じに思われるが、実は違っていて、そこにも自己一致感が含まれているのだと思っている。
なんだろう、まさにゾーンのことなんだよなと思う。
緊張しながらもリラックスしている。脳波でいうとアルファ波とシータ波が同時に出ている。そんな状態を自分でもっていきやすい環境も整備して、自分でもっていく。
これを大事にしたい。
そう思って、久しぶりにフローやゾーン、変性意識状態の書籍を引っ張ってきた。積ん読の本もわりとある。笑
そして、今書きながら、インテグラル理論を探求し始めた頃に思ったこと大事なことを思い出した。
インテグラル理論でも、成人発達理論で語れる発達構造(段階)に注目が浴びるが、実は意識状態のほうが実践上は大事なんだと。
というのも、そもそも発達段階をあげるというのは、意図的にあげれる一方で、実は意図的にあげれるものでもない。
むしろ、意図的にできるのは、意識状態の方で、意識状態を大事にしながら今いる段階をやりきる、今ある課題をやりきる、今日という日を真剣に生き切ることで、結果として発達段階があがる。
そんなパラドックスがある。
ゆえに、改めて、自分も自分の人生のアスリートなんだと思ってやっていこう。そう思った。
2021年7月25日の日記より