インテグラル理論の中で、意識状態として表現される、グロス、サトル、コーザル、ノンデュアル。
意識段階においても、第三層には、ビジョンロジックを越えて、サイキック、サトル、コーザル、ノンデュアルがある。
これは何なのか?
このあたりが実に難しい。
一般的には、意識状態は一時的なもの、意識段階は恒常的なもの。
ゆえに、一時的ではあった意識状態が、恒常化することになる。
それはわかるのだが、具体的にはよくわからない。
そういえば先日、加藤さんがこんなことを言っていた。
「私は孤独を感じるのではなく、孤独(感)として生きているんです」
「私は幸福を感じるのではなく、幸福(感)として生きているんです」
つまり、第二層までの段階であれば、微細(サトル)として感じる孤独や幸福も、第三層では恒常的、それ自体として生きているということになるのではないか。
これがまさに、段階としてサトルといえよう。
そういえば、今書きながら思い出したが、鈴木大拙の著書「日本的霊性」に妙好人として浅原才市という人が紹介されている詩がある。
そこに書かれているのは、
わしが阿弥陀になるんじゃない
阿弥陀の方からわしになる
なみあみだぶつ
まさにそのときの日記で書いたように、無分別智である境地と言える。
まだまだ奥が深いが、小さな気付きを残しておきたい。
2021年12月15日の日記より