時刻は23時10分。
新幹線で、新大阪へ向かっている。
かねてより体験してみたかったこと、会いたかった人、行ってみたかったことなど、やりたかったことがかなりできたように思う。
幸運にも、このジャーナルを書くことにより、連絡をいただき、偶然に会えた人もいて、この3日間、そういった偶発性や自身の欲求を満たす流れの中で、十分に喉を潤すことができた。
自分でも驚くほど、スッキリしている感覚もある。
何よりのデトックスなのかもしれない。笑
またじっくり人里離れた家で、ゆっくりと実践をしていきたい。
振り返れば、約2年前より、人と会うこと自体を極力減らしてきた。
コロナになってからは会ってもオンライン。仕事を通じた社会との接点も、オンライン。
身内や仕事仲間を除き、生身の人間に触れていくということを本当に久しぶりにしたように思う。
これが想像以上に、自分自身の喜びになっている。
オンラインで、心理的な距離や壁を感じているわけではないが、リアルで会う喜びがある。
その人の実存に触れていくということの本質の1つは、自分が世界を見るレンズそのものを客体化し、思考をいれない、または適宜自動的に起こる思考を横におきながら触れていくということのように思っている。
ゆえに、オンラインでも他者の実存に触れていくことができるし、ある種、他者と一体になることさえもできるんだと、これまでの数々の個人セッション、グループセッションを通じて体感としてもっている。
しかしながら、オンラインという特性上、非言語情報は、視覚、聴覚に限られており、リアルでいることで与え合うことができる肌感、エネルギー感によって触れられる実存、生成される温かみがあることも、今回ものすごく感じた。
今、私に内在する喜びは、こういった生身の人間から感じた温かみと偶発性からきている。
こう思うと、定期的に移動するのも良いかもしれない。
移動距離をもつということ自体、
・異なる環境にいることがリフレッシュされるし
・集中力を高めてくれるし
・思考も広げてくれる
などといった感覚もある。
籠もることと大いに暴れること、こういった対極性も自身の中で大事にしたいと思う。
2021年9月26日の日記より