時刻は23時30分。
先程、水彩画で絵を書いて今にいたる。
22時半まで、ヒューマンポテンシャルラボの新しい実践コミュニティ「Wisdom Commmons Lab」のメンバーで、月1回の対話会(SymQセッション)を行っていた。
そこで感じたことを綴りたい。
CONTENTS
曇りなき眼で世界と出会う
今日のセッションは、過去にタイムスリップして、自分のリソースと繋がることだった。
目を瞑り、悠一さんのガイドのもと、自分の過去を巡っていた。
自分の過去を振り返ることは、自己探求が趣味の私にとっては、多すぎることは決してないが、それなりにしてきた。
ゆえに、こういうワークをすると、良くも悪くも、自分がこれまで考えてきたこと、言語化してきたことにすぐ引っ張られる感覚がある。
人間の深遠さや、日々進化し続けていることを思うと、それに引っ張られたくなく、いつも新鮮な気持ちで新しい自分、新しい世界と出逢いたい。
そのため、引っ張られそうになれば、それを一旦横におき、ガイドに従って、今感じるままに感じるようなことを心がけた。
すると、たった10分ほどだったが、また新しい自分と出会い直すことができた。
これがほんと嬉しかった。
曇りなき眼で見定め決める
大好きなアシタカの言葉だけど、私は自分のバイアスを可能な範囲で横におき、世界をありのままに、曇りなき眼で出会いたい。
西田幾多郎がいう「純粋経験」、実存そのものに触れる。
それを大切にしたい。
私が立ち戻るところはどこかっていうと、私を命名する「淳」という名前にあると思う。
「淳」という字にある、「ありのまま、素直、純粋」。
このあり方で、自分と世界を新しい目で見て生きたい。
今日のワークは、些細なことかもしれないが、それを体現できた瞬間でもあった。
だから嬉しかった。
自分の最大のリソースは何か
ワークの内容に話を戻したい。
自分の過去を巡っていった。
小学生の頃、幼少期の頃、赤ちゃんだった頃まで遡る。
すると、思い浮かぶのは、家族といる自分だった。
赤ちゃんの頃を想像すると、ただただ私が笑うだけで、周りが笑う。
温かい光景だった。
そこから、人を喜ばせるのが大好きな自分がいた。
私は4人兄弟の末っ子として生まれてきた。とても愛情深く育てられ。
それは、家族だけじゃなくて、自分が出会う世界からも愛されている感覚だった。
阿世賀という名の珍しい名字もあって、近所どこにいっても私を知ってくれていた。
幼稚園や小学校にいっても、姉や兄の存在のおかげで、先生も私のことを知ってくれていた。
私は知らなくても、周りは私のことを知ってくれ、受け入れて可愛がってくれる感覚があった。
このいった環境で育つ私は、どこまでいっても愛されている感覚があって、一人ぼっちなんて思ったことはなかった。帰ってくる場所があるから冒険心も育まれた。
私が今人を性善説に捉え、人を好きになれるのは、こういったところからきているように思う。
大げさかもしれなけど、私にとっては、これが神が私にくれた最大のリソースかもしれない。
それが今大人になって、「愛する」ことに昇華されつつあるのかもしれない。
人を許し、
人を信じ、
人に息づくものを分け与えるという行為へと。
自分と世界がとける感覚
ワークをした後、20分ほど、ワークで気づいたことをブレイクアウトルームにて、ペアでシェアしあった。
ペアの方と不思議と共通点が多く、まるで他者の話なのに、自分の話をしているようだった。
ペアの方と対話しながら、私は、愛情深く母が赤ちゃんである私を抱っこしているシーンを思い浮かべていた。
すると、ちょうどペアの方のお子さん(1歳)がぐずり、対話しながら抱っこし始めた。
それをみると、まるで私が母に抱っこされている感覚だったし、私が子供を抱っこしている感覚でもあった。
この子を抱っこして喜ぶと、私も嬉しい。
この子の喜びが、私の喜びである。
そこに自分も他者もない。
あ〜この感覚だと。
つながっているんだと。
愛することは、繋がっている感覚を思い出させてくれる。
今の私にとって、それを一番感じさせてくれるのが、阿世賀家という家族である。
家族を思い浮かべるだけで、愛やつながりを感じることができる。
「阿世賀淳」に立ち戻る
そう思うと、「阿世賀」という脈々に受け継がれる愛情に、立ち返りたい。
そして、「淳」というありのままで純粋に、曇りなき眼で世界と出会う。
この「阿世賀淳」というのが、私の立ち返るあり方であると思う。
阿世賀淳を原点に、家族がいて、そして、そこから家族以外の方へ、徐々に繋がっているという感覚を広げていきたい。
できる限り、私と出会ったことさえない人とも、地球とも。
過去の人や未来の人とも。
どこまで繋がりを感じれるか、どこまで愛せるのか。
私のテーマにある。
そのために「阿世賀淳」に立ち返る。
今日はこの感覚を言葉だけじゃなくて絵としても残した。
感謝の気持ちとともに。
2021年11月2日の日記より