インテグラル理論の中にある意識状態。
いくつもの意識状態がある中で、変性意識状態を理解するために、久保さんおすすめの映画「アルタードステイツ」(=意味はそのまま変性意識状態)を観た。
変性意識状態へ移行する手段として、内的変容から入るものと、外的変容から入るものがあるが、本作品は水槽の中に入ることで感覚遮断を行い、メキシコでの幻覚剤を活用することから、外的変容から変性意識状態へはいっている。
主人公である天才科学者エドワードが、意識変容とともに身体も変化した様子をみると、意識と身体も繋がっていることがよくわかる。
危険を顧みず、何度も実験していくこの探究心の源には、エドワードはおそらく父の死もあり、宗教的な幻覚に興味があり、科学者として普遍的な真理、生命の根源への欲求が彼を突き動かしていた。
それだけでなく、自らが実験台になることで、他の科学者とは一線を画することに誇りも持っていたのかもしれない。
また、後半はいよいよエドワードが猿人になり、食べて寝て、本能のまま生きることに深い充足感を感じていた。
ここではもはや、薬物的に得られる快楽を求めている部分もあるように思う。
ただ、彼の言動を見ていると、ここまで突き動かしている原動力はやはり真理への探求だろう。
この映画をみて、いの一番に思うことは、彼の倫理感だ。
実験を繰り返し、すでに人が負傷していも関わらず、真理の探求に取り憑かれており、その衝動をとめることができない。
たとえ天才科学者であろうが、知能には様々な種類があり、倫理ラインの低さがこんな結果を生むのかとまざまざと感じた。
前回、美にも光と闇の側面があるとおり、変性意識状態にも光と闇がある。
エドワードには闇の側面を見させられたが、光の側面もある。
スポーツの領域でフロー状態をつくること人々を感動させることができる
何か災害になった際にも、火事場の馬鹿力で切り抜けることもあるだろう。
私の仕事であるコーチング・カウンセリングにおいても、ロジャーズが晩年出したプレゼンスには、カウンセリング時にセラピストが変性意識状態であれば、その存在そのものが人を癒やすという。
その意味で光の側面もたくさんあるのだ。
しかし、本作品をみると、倫理をはじめ、様々な種類の知能を相互に発達させていかなければ、闇に転じてしまうことを痛感した。
ここでふと思う。
エドワードは本人の中で倫理が欠けていること自体に気づけているのだろうか。おそらくいないのだろう。
まずは人間にはどのような種類の知能があるのか、その全体感を掴むことは自分を省みるには重要で、その点インテグラル理論の価値はここにあるのだと、改めて感じた。
2021年1月28日の日記より
2021年1月30日