実家にいると、普段とは違う情報が入ってきて面白い。
普段TVを全く見ないのだが、実家はご飯を食べているときにTVを見る。
今日TVで、「わさびは笑ってすれ」という発言があった。
わさびはすりおろすことによって、細胞内のミロシナーゼという酵素によって分解され、はじめて辛味成分が生成される。
「笑いながらすれ」とは、強過ぎず、弱過ぎず、ちょうどいいから。
強すぎると、キメが粗くなり、風味も落ちてしまうとのこと。
この話をきいて、仏教の発展もそうだなと思う。
東洋思想は、ただでさえ真理がわからないもの。
上座部とは別で、大乗仏教にわかれ、日本では鎌倉時代にわかれていったが、それぞれの社会ニーズに応じて発展した。
法然、親鸞の「念仏」なんてのはまさにそうだろう。
山にこもってとか、誰もしない。てか明日死んでもおかしくないときに、そんなことできない。だからシンプルに「南無阿弥陀仏」と唱えれば悟り(極楽浄土)に到れる。
つまり、どの宗派でも目的は同じなのだが、手段をよりその人・環境に応じたものにしていった。
となると、その型と真理(意図・背景)セットで理解することが大切。
こうやって抽象化して簡単にいえるのだが、問題はその真理が難しいのだ。
だから東洋思想も、源流の源流の源流で、インド哲学まで遡っていく。
でも、そんなことをしながら、目の前のわさびをすらなければ何もしていないのと同じ。
むしろ新鮮さが失っていくと元も子もない。
どの手段でもいいから、目の前のことやる。
目の前のことを実践しながら、感じたことを内省してやっていくことを忘れないようにしたい。
2021年5月16日の日記より
2021年5月18日