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日記「あじわい」

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妙好人、浅原才市の詩「わしが阿弥陀になるんじゃない」#263

鈴木大拙の「日本的霊性」を読んでいる中で、妙好人として浅原才市という人が紹介されている。

彼の詩(歌)を拝見して、鈴木大拙がこの人にはかなわないというのが少しわかる気がする。

特にこの詩は、あまりの素晴らしさに唸った。

わしが阿弥陀になるんじゃない
阿弥陀の方からわしになる
なみあみだぶつ

いや〜深いなぁ〜・・・

ウィルバーでいえば、これぞ第三層の世界観を表現している詩。

人間は誰もが何かしらの求道者。でも、その何かは、求めることから始まるが、不思議なことに、最終的には何かを求めるということ自体を手放さないと叶わない。

求めるのは自我であり、心であり、概念や言葉を用いる思考を手放し、そうではなく魂の次元でものごとをみたとき、無分別智、そこに区別がないことに気が付き始める。

阿弥陀と私の区別はない。

そして、空性はすべての人にとっての常に現前する究極の基底であるゆえに、私が阿弥陀様に向かって「南無阿弥陀仏」というのではなく、自分を通して阿弥陀様が「南無阿弥陀仏」と言っていると捉える。

この詩は、こういった真理を端的に述べてくれている。

2021年9月3日の日記より

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