何事もそれ固有の魅力と限界、尊厳と悲劇、光と影といった二面性がある。
ゾーン、フローの講座企画のために、チクセントミハイ、スティーブン・コトラーなどの書籍を読んでいると、ゾーン、フローに潜む影もある。
以前、変性意識状態を映画にしたアルタード・ステーツを見たことがあったが、あの映画はその典型例だろう。
日本においても、スポーツ選手が薬物やアルコール依存症になるケースは耳にする。
変性意識状態は、あの感覚をもう一度味わいたいという欲求が高まりすぎてしまい、依存に陥る。
エクスタシス(恍惚体験)への入り口は、日常の至るところにある。
アルコール、タバコ、カフェイン、エクストリームスポーツ、ビデオゲーム、クラブ、セックス、映画、SNSなど。
環境的に、容易に依存に陥りやすい。
この闇に飲み込まれないためには、この闇自体を認知しておくことであるし、陥らないための工夫、環境を用意することも必要になる。
し、フローではない、通常の自然な意識状態にもそれ固有の魅力があることも認知することも重要に思う。
たとえば、フローには、脳波としてシータとアルファからひらめきのガンマに至るわけだが、このときのガンマが引き寄せる自分の無意識にあるアイデアは、実は通常の意識状態のときに思考していた内容が素材になっている。
アイデアの作り方のジェームズ・ヤングが言っているように、一度入れた知識を熟しているからこそ、ふとした瞬間にそれらが組み合わさってアイデアとして生まれる。
自然な意識状態のときだからこそ、入れれる知識、考えられることもあるわけである。
そう思うと、自然な意識状態と変性意識状態は相互に補間しあっている関係であるといえる。
こういった認知もセットで理解しておかねばならない。
2021年8月3日の日記より