4月13日、22時。
今しがた、今日の予定が落ち着いたこともあり、
YeLLのSlackを見ていると、仲間が、東大の入学祝辞をシェアしていたのを拝見した。
祝辞を述べるのは、映画監督の河瀬直美さん。
河瀬さんは、とても好き映画監督なので、すぐさま読み始めた。
祝辞ということで、声に出して、自分の耳で聞いた。
音読していると、徐々に座っている足が震え、声が震え、魂が震え、なぜか涙が込み上げてきた。
読み終えた後、ふたたび、みたびと、読み返しても、感動を新たにする。
自分が人生を生ききったとしても、学生たちにこれほどの言葉を贈れるだろうか。ことほぐことができるのだろうか。
これほど心を揺り動かす人がいたのかと思うだけで、私の心はとても満たされてゆく。。。
しかし、どうしてこの言葉たち(祝辞)が、私の心をここまで震わせてくれるのだろうか。
この震えは、私に何を伝えようとしてくれるのだろうか。
万感の思いのままに、静かに内観する。
すると、私は特に震える言葉があることに気づきます。
それは、最後の方にある文章
と続く、文章だった。
この文章といい、いろんな詩に触れて、感動する。
それらの言葉は、とても日常的なこと。
とてもよくみる風景のこと。
この、とても素朴なことの中に、壮大なものが、真理が潜んでいることを、たしかなものとして感じさせてくれる。
そう。
私は、それを感じたいのです。
私の今ある、とても身近なこと、とても素朴な経験を、この日常を、とてもとても大切にしたいのです。
そして、今そばにいる、母や父や祖母を、抱きしめたいと思うのです。
そう。
名前は、ここにある世界を抽出しているんじゃなくて、逆なんだ。
名前が世界を創出してる。
私の心は、いや私の魂は、この世界を味わいたい。
この世界の美しさと愛に触れたい。
戦争や自然破壊の現実からくる止まぬ悲痛を感じる度に、とても美しいなど愛など容易に言えない。
それでも、この世界の深みは、自分の意識の深まりともに、深まっていく。私はその深淵に触れたい。
そして、この世界が慈しみでできていると信じたい。
そのことを、大切にしたい。
この震えは、それを伝えてくれたのではないかと思った。
今日、ふと、この祝辞に触れられたこと。
そして、そのきっかけは、この仲間、YeLLであることも忘れず、感謝を捧げます。
2022年4月13日の日記より