10月2日、10月最初の土曜日を迎えた。
毎週土日は、父と母と一緒に畑に向かう。
季節収穫の秋でもあり、今日はさつまいもと、畑じゃないけど栗を収穫する予定だった。
栗は柴栗で、どんぐりのような小ささだけど、とっても美味しく、先日の台風もあって、今日は全部で352個も採れた。
さつまいもは、ほんの少し取ることにして、今日はやめることにした。
というのも、ここ数日雨が降らず(おそらく半月くらいは降っていない)、土が干からびてしまい、石のように固くなり、掘れる状態でなかった。
桶にためている水を一面にあげることで精一杯だった。(機械がないため、ジョウロであげている。)
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ライフスタイルからくる意識の引力
当たり前だが、雨が数日降っていないことさえ、かつてビルや家の中でPCを通じて仕事をしていた私は気づきもしない。
私というより、産業化された社会の中では、そこに意識は向きにくい。
アフリカ、ブラジルなどでも起こる大干ばつのニュースを見ても、産業化社会の日常は、人々の注意をそこには向けさせない構造にいる。
もちろん、私のいる日本は水も豊富にあるゆえに、アフリカやブラジルと全然異なるものだが、土や農作物とつながることで、そういった気候変動や資源の枯渇を、以前よりもほんの少しでも身近に感じることができるのは確かだ。
そして、少しでも円の依存度を下げながら、自給自足へ向かうことで、持続可能な社会を、ほんの少しずつ体現することもできる。
産業化された社会において、食べ物の輸送にかかるコストは膨大で、エネルギー代が高くついている。
畑をすることが、生命持続型のしくみへの貢献をほんの少しでもできているとも思える。
育まれるエコロジカル・インテリジェンスとアクティブ・ホープ
そんなこともありながら、畑をして最も大きい変化、自分の心自体が変化していることかもしれない。
産業化された現代の中では、人間界に意識が向く。自然界にある相互依存という文脈をどうしても忘れてしまう。そういった構造の中で暮らしている。
でも、畑をすると、私たち人間は人間界よりも大きく、相互につながり合った生命の織物の一部であることを実感させてくれる。
土も、木も、水も、植物も、農作物も、虫も、動物も、風も、太陽も。相互に助け合う大きな共同体の仲間として存在すること実感できる。
私たちは食べ物として植物に依存しているけど、それと同時に、大気に酸素をつくり出すという点にも植物に依存している。
30億年前の地球には、火星や金星のように、酸素はほとんどなかった。それが植物によって大量の酸素を増やし、二酸化炭素を減らしてくれたから今の大気ができている。
そして、その植物も、水と土と太陽などに育てられている。
このように畑は、私の意識を人間界からさらに高位のホロンである自然界へいざなってくれる。
愛でるように農作物を育て、私が植物に助けられているのであれば、私も植物の助けになりたい。
必要なものだけを受け取り、同時に還元する。
自然を敬い、生きとし生けるものを敬い、それらを大切にする心とつながる。
こういった自然界へ健全に依存することを通じて、私の中にエコロジカル・インテリジェンスやアクティブホープ(積極的な希望をもち行動すること)が確実に育まれている。
そしてこの実感が、また私に前に進むエネルギーを与えてくれる。
2021年10月2日の日記より