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日記「あじわい」

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時刻は23時20分。

今日も一日を終えようとしている。

今夜も変わらず、自然豊かな環境で、虫の音が心地よく聴こえる。

土日は、畑仕事をしていて、これが私の大きな楽しみになっている。

ディープエコロジーへの関心も増し、夜読んでいた書籍の中で、アルネ・ネスがとても興味深い言葉を残していた。

不幸なことだが、環境保護運動の中身があまりにも説教臭くなってしまったために、一般の人々は、自分は犠牲を要求されている。つまり、もっと責任感を見せろ、もっと心配しろ、もっと高い道徳基準を持て、と言われているのだという誤った印象を持ってしまった。

だがそれらはすべて、自己という概念がより大きくて深いものになり、自然を守るというのは取りも直さず自分自身を守るということなのだ、と認識されたなら、自ずと、容易に起こることなのだ。

発達理論の観点から見れば、これはまさに自己という概念が拡がった高次の意識段階を指すように見える。

しかし、ディープエコロジーのアルネ・ネスやジョアンナ・メイシーを見ていると、はたして本当に自己の発達とひとくくりに呼んでいいのだろうか。

熱帯雨林保護活動家のジョン・シードはこんなことを言っている。

熱帯雨林を守ろうとしているのは、僕、ジョン・シードではない、ということを忘れないようにしています。僕は、自分自身を守ろうとしている熱帯雨林の一部なんです。最近になって人間の思考の中に姿を現した熱帯雨林の一部、それが僕なんですよ。

まさに、先程のアルネ・ネスの発言を体現しているが、彼のような人たちをみると、自己概念の発達ともいえるのだが、より精緻にいうならば、これは1つのスキル領域と捉えるのが良いのではないかと思っている。

それは何かというと、「エコロジカル・インテリジェンス(環境的知性)」を高めることであり、「エコロジカル・セルフ」を育むこと。

「エコロジカル・セルフ」というのは、アルネ・ネスが作った言葉だが、私たちが自己中心の「自己」の中に自然界を含めたときに生まれる、より大きな自己を指している。

地球や自然とつながる感性(スピリチュアルのライン)を育むと言ってもいい。

つまり、アルネ・ネスがいう話は、自己が、プレパーソナル、パーソナル、トランスパーソナルと発達していき、トランスパーソナルだからこそたどり着く境地でもあるのだが、それだけではなく、どの段階においても、「エコロジカル・インテリジェンス」や「エコロジカル・セルフ」を育むことによって、誰もが健全に自然と共生していける人になっていけることを示しているように見える。

私自身はそう捉えたい。

そして、今私がしている畑作業は、まさにそれを涵養させてくれる。

2021年10月9日の日記より

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