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日記「あじわい」

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生命の織物「シアトル首長のメッセージ」#400

何千年、何万年の昔から、地球上には人間が住みつづけてきた。

シアトル首長のメッセージは、とてもとても心に響いてくる。

ゆっくりと、声に出して読んでいこう。

シアトル首長のメッセージ

ワシントンにおられる大首長(合衆国大統領のこと)から、われらの土地を買いたいとの申し出を受けた。

大首長からは友情と友好の言葉を賜っている。ありがたいことだ。ご自分は、見返りにわれらの友情など少しも必要とされないはずなのだから。

だが、われわれはあなた方の申し出を検討することにしよう。もし、われわれが土地を売らなければ、白人は銃を携えてやって来て、われらの土地を奪ってしまうかもしれないからである。

空を、大地の温もりを、どうして売ったり買ったりできるのだろう?そういう考えはわれわれにはなじめない。

空気のみずみずしさや水のきらめきがわれわれのものでないのに、あなた方はそれをどうやって買おうというのか?

この地球のあらゆる部分が、わが民人にとっては神聖なるものである。輝く松葉の一本一本、砂浜という砂浜、暗い森にたちこめる霧の一滴一滴、森の中に開けた場所のすべて、そして羽根をたてる虫たちは、わが民人の思い出と体験のうちにおいて聖なるものなのだ。樹々の中を流れる樹液は、赤人(北米先住民のこと)の思い出をたずさえている。

白人の死者は、死んで星々のあいだを歩くとき生まれ故郷を忘れてしまうが、われらの死者はけっしてこの美しい大地を忘れはしない。それは赤人の母だからだ。われわれはこの大地の一部であり、大地はわれわれの一部なのだ。

かぐわしい花々は
われわれの姉妹だ
鹿、馬、大鷲
これらはわれらの兄弟だ
切り立った峰々
草原の潤い
子馬や人の身体の温もりーーー
すべては一つの家族なのだ

それゆえ、ワシントンの大首長はわれわれの土地を買いたいとおっしゃるが、それはわれらにとって過大な要求である。

大首長は、われわれが快適に暮らせるよう、特別な場所を確保するとおおせだ。われわれに彼を父と仰ぎ、彼の子となれ、と。

よろしい。われわれの土地を買いたいという、あなた方の申し出を検討することにしよう。
だが、それは容易なことではない。なぜなら、この土地はわれらにとって聖なるものだからである。

渓流や川をきらめきながら流れる水はただの水ではない。それはわれらの父祖の血だ。たとえこの土地を売るにしても、あなた方はそれが聖なるものであることを記憶にとどめ、子どもたちにも、この土地が聖なるもので、湖の澄んだ水に映る幻のような影の一つひとつが、わが民人たちに起こった出来事と思い出を語っているということを教えなければならない。水のさざめきはわが祖父の声なのだ。

川はわれらの兄弟であり、われらの渇きを癒してくれる。川はわれらのカヌーを運び、子どもたちに食べ物を与えてくれる。万一われわれがこの土地を売ることになったら、記憶にとどめ、子孫に伝えてほしい。川はわれらの兄弟であり、あなた方の兄弟でもある。だから、川には兄弟に接するようにやさしく接しなければならない、と。

赤人はいつも、白人の進行を前に退いてきた。ちょうど、山にかかる霧が朝日を前に走り去るように。しかし、われわれの父祖の灰は神聖であり、その墓地は聖地である。だから、これらの山々、木々、大地のこの部分はわれらにとって聖なるものだ。白人がわれわれのやり方を理解しないことは知っている。白人にとって。大地のある部分とその隣の部分とはなんの変わりもない。白人は夜やってきて、土地から欲しいものすべて奪い去るよそ者だからーーー大地は白人の兄弟ではなく敵であり、その土地を征服すれば次の土地へと移っていく。白人は父祖の墓地をあとにして平然としている。子孫から土地を奪い去っても平然としている。父祖の墓地も子孫の生得権も眼中にない。母なる大地や兄弟である空を、羊や輝くビーズ玉のように買ったり収奪したりできるものとして扱う。白人の欲望は大地を貪り、あとには砂漠が残るのみであろう。

私にはわからない。われわれのやり方はあなた方のやり方とはちがう。あなた方の都市を見ると、赤人の目は痛む。しかし、それはおそらく赤人が野蛮人であり、理解する力がないからなのだろう。

白人の都市には静かな場所というものがない。春の若葉が風にそよぐ音や、虫の羽音が聞ける場所がない。しかし、それは私が野蛮人で、理解する力がないからなのだろう。都市の喧騒は耳を辱める音にしか聞こえない。よる、夜鷹の淋しげな鳴き声や、カエルたちが池のまわりで言い争う声を聞けないような人生など、生きるに値するだろうか?インディアンは、池の面を渡る風の柔らかな音や、真昼の雨に洗われた風、あるいはピニオン松の香りを含んだ風のかぐわしさを好む。

赤人にとって空気はかけがえのないものだ。なぜなら、万物がこの同じ息を分かちあっているから。獣たち、樹々、人間ーーーすべてはこの同じ息を分かちあっているのである。白人は自分達が呼吸する空気を気にとめないらしい。何日も死にかかっている人のように、悪臭にさえ麻痺している。だが、この土地を売るようなことになったら、おぼえておいてほしい。空気がわれわれにとって大切なものであり、空気はそれを支えているすべての生命と魂をわかちあっているのだということを。われらの父祖に最初の息を与えた風は、その最後の息を引きとる。そしてその風は、われらの子どもたちに生命の気を与えてくれるにちがいない。だから、万一この土地を売ることになろうと、ここを聖地として守り、白人であっても、草原の花々の甘い香りを運んだ風の味を楽しみにこれるような場所にしてほしい。

よろしい。われわれはこの土地を買いたいというあなた方の申し出を検討することにしよう。
もし、われわれがそれを受け入れることを決めた場合、私はひとつの条件をつけるつもりだ。白人はこの土地の獣たちを兄弟として扱わなければならない、と。

私は野蛮人であり、ほかのやり方を理解できない。私は、通過する列車の中から白人によって撃ち殺され、置き去りにされた無数のバッファローが大草原で朽ち果ててゆく姿を見てきた。野蛮人の私には、なぜ煙を吐く鉄の馬がバッファローより大切なのか理解できない。

獣を失った人間など、なんの値打ちがあろう?すべての獣がいなくなったら、人間は魂の孤独感にさいなまれて死んでしまうだろう。獣たちの身にふりかかったことはすべて、じきに人間の身にもふりかかるのだ。万物はつながっているのだから。

あなた方は子どもたちに教えなければならない。彼らの足元の大地はわれらが父祖の灰であることを。子どもたちがこの土地を敬うように、大地はわれわれの一族の者たちのいのちで満ちていることを教えなさい。われわれが自分の子どもたち教えてきたように、大地はわれらの母であることを、あなた方の子供に教えなさい。大地にふりかかることのすべて、大地の息子たちの身にもふりかかる。大地に唾することは自分自身に唾することなのだ。

われわれは知っている。大地が人間に属しているのではなく、人間が大地に属していることを。ひとつの家族が血によってつながれているように、万物はつながれている。万物はひとつである。

大地にふりかかることはすべて、大地の息子たちの身にもふりかかる。生命の織り物を織るのは人間ではない。人間は一本の織り糸にすぎない。その織り物に対してなすことはすべて、自分自身に対してなすことなのだ。

だが、われわれは、わが民人のために用意してくれた居留地へ行けというあなた方の申し出を検討することにしよう。われわれは離ればなれになるが、心の安らかに暮らすであろう。われわれが残りの人生をどこですごそうと、たいした問題ではない。われらの子どもたちは、戦いに破れ、辱められる父親の姿を見てきた。屈辱を受けたわれらの戦士たちは、戦いに破れてのち、無為の日々をすごし、甘い食べ物と強い飲み物(酒のこと)で身体を汚している。われわれが残りの人生をどこですごそうと、たいした問題ではない。もはや先は長くない。もうしばらくすれば、あといく冬かすぎれば、かつてこの大地の上に生き、いまは小さな群れをなして森をさまよう偉大な部族の子孫は一人もいなくなって、その昔あなた方と同様に力強く、希望に満ちていた民の死を悼むこともなくなるだろう。しかし、なぜわが民人の滅亡を悲しむ必要があろう?部族とて人間の集団であり、それ以上のものではない。人間は、海の波のように生まれては死ぬ。

友としてともに歩み、語りあえる神をもつ白人でさえ、この共通の運命からのがれることはできない。結局のところ、白人と赤人は兄弟なのかもしれない。それはいずれわかる。ただ、われわれが知っていることがひとつある。白人にもいつかそれがわかる日がくるだろう。それは、われらの神と白人の神は同一だということである、あなた方はいま、ちょうどわれわれの土地を所有したいと望んでいるのと同様に、神も所有していると考えているかもしれないが、そんなことは不可能だ。神はすべての人間の神であり、その慈しみは赤人と白人に等しくそそがれる。この大地は神にとってかげがえのないものであり、大地を害することはその創造主を侮蔑することにほかならない。白人もまた死に絶えるだろう。もしかすると、他のあらゆる部族よりも先にーーー。

だが、あなた方はその滅びにさいして、この地にあなた方をもたらし、ある特別な理由でこの地と赤人を制覇することを認めた神の力で、燦然と輝くであろう。そのような天命はわれらにとっては謎である。なぜなら、バッファローが虐殺され、野生の馬が飼い馴らされ、森の中に人目につかない場所がたくさんの人間の匂いでむせかえり、豊かな丘の風景が話す電線で覆われるのを、われわれは理解できないからだ。

薮はどこへ行ったのか?消えてしまった。鷲はどこへ行ったのか?消えてしまった。俊敏な子馬や狩りは借別しなければならないというのは、何を意味するのか?それは真に”生きる”ことの終わりであり、単なる”生き残り”のはじまりだ。

よろしい。われわれはこの土地を買いたいというあなた方の申し出を検討することにしよう。もしわれわれが同意するとすれば、それはあなた方が約束した居留地を手に入れるためである。
その地で、われわれは残り少ない日々を望むがままに暮らすであろう。この地上から最後の赤人が姿を消し、その思い出が大草原を横切る雲の影にすぎなくなっても、ある岸辺や森はいぜんとしてわが民人の魂を抱いてくれるであろう。なぜなら、わが民人は生まれたての赤子が母親の心臓の鼓動を愛するように、この土地を愛しているからだ。だから、もしこの土地をあなた方に売ったとしても、この土地をわれわれが愛したように愛してほしい。われわれが手塩にかけたように手塩にかけてほしい。手に入れたときそのままに、この土地の思い出を大切に心にとどめてほしい。そして力のかぎり、智慧のかぎり、情熱のかぎり、この土地を子どもたちのために守り、愛してほしい。神がわれわれすべてを愛するようにーーー。

われわれはひとつのことを知っている。われわれの神はあなた方の神と同一である。この大地は神にとってかけがえのないものである。白人といえども、この共通の運命からのがれることはできない。結局のところ、われわれは兄弟なのかもしれない。それはいずれわかるだろう。

生きるということ

このメッセージは、なにもアメリカだけの話ではない。

たとえば、日本においてもアイヌの人々を追い込んできた。

わたしたちは、彼らの想いを受けとってきたのだろうか?

今、足もとにある大地を感じているだろうか?

獣たちを、草原を、川を、この空を。

コンクリートや鉄に囲まれ、産業化した現代文明という檻の中(構造)に生まれてきた私たちは、畏敬の念や感謝は薄れてきてしまった。

先日、「アチュアルの夢」というアマゾンに住む先住民たちのドキュメンタリーを見たことを思い出した。彼らはとても生命力がある。

現代人の私たちは、ずいぶんと弱くなってしまった。

私たちは、本当は生かされている。

数々の恵みの中やこれまでの生命の上に、生かされている。

しかし、この構造と世界観の中では、そのことを感得できていない。

自分が生きていると思っている。

あまたのこと当然かのごとく、あぐらをかいている。

だから弱い。

土台が違う。

われわれは生かされているのであり、われわれを生かしめる何かのために、生きなければならない。

われわれは応えなければならない。

それが本来、生きるということだ。

美しい生命の織物は目には見えない。

だが、このメッセージを聴けば、アメリカ先住民が地球に対して抱いていた畏敬の念を私たちのなかにも呼び覚ましてくれる。

今この瞬間も、外に目をやれば、美しい織物があるではないか。

この織物を見える目を養いたい。感じる感性を取り戻したい。

そしてそれを伝えたい。

シアトル首長、われわれを兄弟と言ってくれてありがとう。

あなたの言葉が、世界の癒しのために、わたしたちとともに生き続けますように。

2022年2月26日の日記より

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