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日記「あじわい」

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出会いと別れの奥底に流れる気持ち#92

随分と暖かくなって、地域によっては桜も咲き始めたらしい。春が訪れ始める。

昨年秋からの半年間、新たに2つの学び場へ関わらせていただいた。

1つは、宮越大樹さんのコーチングスクール(アナザーヒストリー)にてコーチングを、
もう1つは、有馬さんや加藤さん主催の一瞬一生の会で、発達理論を探求をした。

今日の午前中は、大樹さんに、この半年間のスクールの学びが体現できているか、試験としてコーチングをさせていただき、夜には、一瞬一生の会の集合クラス。

どちらも本当に楽しい時間で、いよいよ終わってしまうのかというと少し寂しい気持ちもある。

皆さんからいただいたことがあまりにも多い。

この半年間、私はどんな変化があったのだろうか。
試しに半年前に書いたブログ1つみても、別人が書いたように思うほど変化を感じる。

これから何日かにわけて、いろんな観点で振り返る時間をとってみたい。

その中でも、今変化として感じることの1つをあげると、何か深いレベルで愛情を感じられるようになったように思う。

それは何か物理的なものや表面的なものだけではない。
直接的に私を助けてくれたようなわかりやすいことだけでもない。

何と表現すればよいのだろうか。
時間をともに過ごすということそのものが、愛ある行為だと思うのだ。

それは今朝の大樹さんからそれを感じるし、一瞬一生の会の回の時間にも、それを感じた。

たった1つの連絡、たった1つの会話から、たった1瞬の間にも、水脈を探せば奥には愛情がある。

ときに自分にとって不快に感じてしまう言動も含めて。

私に関心を向けてくれ、私と結び続けてくれ、私とともに時間を過ごしていただけることが、愛情のように思うのだ。

半年前に掲げた壮大な目標、「自己認識と世界認識を拡張させていく」。
これは発達そのものであって、生涯をかけてしていくものだが、その一例として、この愛情を深く感じ取れることも1つの認識の拡大、発達と言えるだろう。

この半年間濃密に関わらせていただいた
アナザーヒストリーのメンバーも、
一瞬一生の会のメンバーにも、改めて感謝を申し上げたい。

3月で終わりだが、ともにこれで終わりではなく、学びもコミュニティも生涯続いていくのでいくものだ。

出会いと別れのように思うが、それをいうと、毎日が出会いと別れなのである。

内村鑑三の「後世への最大遺物」を思い出す。

またふたたびどこかでお目にかかるときまでには少くとも幾何の遺物を貯えておきたい。

この一年の後にわれわれがふたたび会しますときには、われわれが何か遺しておって、今年は後世のためにこれだけの金を溜めたというのも結構、今年は後世のためにこれだけの事業をなしたというのも結構、また私の思想を雑誌の一論文に書いて遺したというのも結構、

しかしそれよりもいっそう良いのは後世のために私は弱いものを助けてやった、後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、後世のために私はこれだけの義心を実行してみた、後世のために私はこれだけの情実に勝ってみた、という話を持ってふたたびここに集まりたいと考えます

私も1日1日、多くのことをいただきながら生かせていただき、日々、自己の意識としてうつる内面世界、外面世界を豊かなものなっている。

再びお目にかかるのは、明日か1週間後か1ヶ月後か1年後か10年後か、
いずれにしましても、その瞬間、自分の中に息づくものを、私の存在、言動を、愛情という名をもってお渡しできればと思います。

2021年3月15日の日記より
2021年3月16日

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