今回2週間ほど、石垣島にきているが、今回の滞在で、「からだ」への向き合い方が少し変わったように思う。
昨年11月頃にも、石垣島を訪れ、お宿をしているまいちゃんから初めてエサレンマッサージを受けて以来、月1ペースでエサレンマッサージを受ける幸運に恵まれてきた。
今回も彼女のエサレンマッサージをはじめ、筋膜リリース、リフレクソロジーなど、数日にわたって盛りだくさんのボディワークを受けさせていただける機会になった。
恥ずかしながら、今回にして、ようやく、「私という意識」が、「私のからだ」を支配していることをしみじみと感じた。
そのことを少し残しておきたい。
CONTENTS
身体の認知
これはほんと恥ずかしい笑い話だが、
施術前のカウンセリングで、身体や心の調子を聞かれる。
そのときは、「調子いいよ!」と即答するんだが、
受け終わったら「いや〜僕の身体、こんなに疲れてたんですね〜」と180度変わった回答をする。笑
今回で6回目くらいのマッサージなのだが、俺はこのやりとり何回やるんだといういうくらい、毎回している。笑
(参考までに、初めてエサレンマッサージを受けた感想を書いた日記)
改めて、なんでこんなに、身体への認知が違うのかというと、理由は大きく2つあるように思う。
グロスの意識状態からサトルの意識状態へ
1つは、意識状態の違い。
術語でいえば、グロスの意識状態からサトルの意識状態に移るからであろう。
(参考:グロス・サトルの意識状態)
サトルの意識状態であり、自分の身体の部位が1つ1つ精緻に感じ取れる。
エサレンマッサージを受けていると、自然と瞑想状態に入ることができる。
2時間も目を瞑り、部屋も暗く、心地よいお香の香りと音楽が流れているため、とても入りやすい。
わりと深めに入っていくと、体の感覚もさほどなく、自分の意識だけになっていく。
しかし、エサレンマッサージを受けていると、必ず施術者が自分の身体に触れているため、そこに、自分の身体が立ち現れてくる。
すねがあり、ひざがあり、ももがあり、足の付け根があり。
そうなると、そこに意識が向き、1つ1つが微細に感じ取れるし、流れみたいものがわかる。
今回の私の場合は、足裏のつちふまずの下あたりに違和感があることを知り、それを感じると、エネルギーがそこで止まっている感覚がある。
他者から触れられること
それからもう1つは、他者に触れられて初めてそこに違和感があることに気がつける。
当たり前だが、自分の手で自分の体に触れられることには限りがある。
他者によって、はじめて私のからだに触れることができる。
しかも、自分だったら素通りしてしまう部分を、1つ1つ丁寧に。
この2点から、施術前後で、身体への認知が大きく異なるのだろう。
きっと自分のからだの理解が進めば、きちんと感じ取れるんだろう。私はまだそこに至っていないが、少なくとも、マッサージを重ねるたびに、自分のからだのことを知っていっている。
筋肉のつながり
今回、私の身体は、いわゆる四十肩というやつ、左腕をあげるのが痛い。。。
集中的にマッサージするにして、広げても肩甲骨くらいまでと思っていや、実は、左の二の腕と、背中からお尻まで、左側全体の筋肉が痛かった。
そこを癒していくと、自然と左肩があがりやすくなった。
これにはちょっと感動で、自分でもこんなに筋肉はつながっているのかと思った。
書けば当たり前のことなんだけど、体感して初めて理解するとはこのことだなと、本当に感動した。
からだと仲直り
さて、今回一番大きかったのは、からだと仲直りをしようと気付かされたことだった。
四十肩で、僧帽筋がめちゃくちゃ痛い。
まだ40になってない若さなのに。
さっき書いたように、僧帽筋だけじゃなくて、
腕やお尻まで。
この痛みはどうして起きているかというと、
おそらく、私の普段の姿勢の悪さと、PCと本の時間が長すぎからきている。
そう思うと、
「あー本当にごめんよ。俺の姿勢の悪さゆえに、君を痛めつけてしまって、本当に申し訳ない。」
という気持ちになった。
俺はからだを乗っ取って支配してたんだなと。
ソマティック心理学から、からだの声を聴こうとか、
身体知も活用していこうとか、
そんなことを思ってたんだが、
なんら出来ていない自分をひどく痛感した。
今日の日記は、これを忘れないために書いたみたいなものだ。
これから、自分で自分のからだをマッサージしてやりたいと思う。
素晴らしい体験をくれてありがとう。
2022年6月29日の日記より