7月6日、ヒューマンポテンシャルラボのコミュニティ内で、ヴィーガンの話をすることになっている。
そこで、ヴィーガンにまつわる私の自己変容を話すのだが、いまだに抱えている葛藤がいくつかあり、ずっとどう話せばいいか悩ましかった。
しかし、石垣の星空が、私にメッセージをくれたように思う。
CONTENTS
葛藤
発端は、5月のGWに参加した、ジョアンナメイシーのつながりを取り戻すワークの7日間のインテンシブ・リトリートだった。
このワークは、世界の痛みを大切にする。
痛みを感じることは精神的にも体力がいる。
その意味で、痛みと向き合い続けることは、いつもと違う感覚になる。
私はヴィーガンになったが、深く深く、動物の痛みとつながり始めると、とても気が気ではなくなってくる。
目の前で動物を喰らう人間に対して、怒りが込み上げてくる。
それも、「環境問題」や「自己変容」の領域を語る人間に対しては、特に怒りが湧き出てきてしまう。
このリトリートでも、この場は世界の痛みを大切にして、生き方を変えていく場なのに、どうして、世界の痛みを大切にしようとしているあなたが動物を食べているんだと。
その時は、人を憎まず、構造を憎もうと、気持ちを切り替えていたのだが、これくらい深く動物とつながった状態が続いて、いざリトリートから日常に帰ってくると、とても息苦しい。
まち中が肉や魚を食べるお店だらけ。
テレビをみても、ネットをみても、何もしてても動物を食べることが当たり前の社会に、嘔吐しそうになった。
このときから、私は、「この現実社会とどう適応すればいいのだろうか」と苦しみ始めた。
光と闇
そんな中、今回石垣島にきて、友人たちと4人で、宿のテラスで食事をしていた。
明かりが少なくて、私は、スマホでライトを照らしていた。
しかし、途中で、充電を気にして、消してみた。
すると、ライトを消したほうが明るくなってきた。
目が慣れて、よく見えるようになってきたのだ。
このとき思った。
そうか、明るくするから暗くなるんだ。って。
何事も。
空を見上げると、随分星空がある。
みんなでゆっくり星空を眺めようと、家の電気を消してみた。
すると、こlこでも、星空がどんどん見えてきた。
星と星の間にも、たくさんの星が現れてきてくれた。
流れ星も頻繁にあって、もう「あ、流れ星」と言わなくなるほど。
星空からのメッセージ
あまりの美しさに心奪われ、3時間ほど星空をみていたようだ。
この時星空をみているとき思った。
そうか。星はずっとあったんだって。
星が出てる出てないっていうけど、人間が明るくして見えなくなっていないだけで、ずっとそこにあるんだって。
私たちはどうしても、目に見えるもの、手で触れることだけを実在だと勘違いしてしまう。そうではないのだ。
星は見えぬとも、そこにある。
都会にいようが、島にいようが、この世界に星はある。
そう思うと、私が葛藤していた社会に適用しようかしまいかは、適用するも何も、この社会しかないことに気付かされた。
どこか、現実逃避というか、肉食文化、人間中心の文化から離れようとしていたけど、俺が生きていくのは、この入り混じった世界1つしかないんだと。
大切なのは、目に見えない実在に触れていくことであるが、それを分かった上で、私は、星空が見えるところと、見えないところでは、見えるところを拠点にしたいと思う。
そして、見えない人たち、忘れている人たちに、ここに連れてきて、「ほら、こんなにもあるんだよ」って見せたい。
だから、今の私は、なるべく肉食文化から距離を置いて、生きとし生けるものの命を大切にする文化を拠点にして、そこに人を連れてきたい。
見えてなかった人たち、忘れてしまった人たちに、こっちの景色も見せてみたい。
どうも、今の社会と適応せず肉食文化から距離をとること=ヴィーガンの大切さを伝えない、
と勘違いしていたようだ。
生きるのはこの現実社会1つしかないことを、このどこまでも広がる夜空が教えてくれたように思う。
ありがとう。
2022年6月22日の日記より