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日記「あじわい」

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いくつかのコミュニティで、グループでコーチング的なアプローチで課題解決をする取り組みをしている。

今日も3ヶ月に1回集まるそういう会だった。

当たり前かもしれないが、些細なことから、自分の意識の矛先が縛られていることに気がついた。

友人Aの職場で、Bさんとの対人関係の悩みに対して、みんなで対話を重ねるのだが、この時、私たち相談に乗る側は、自然とAさんへの共感的理解を持ちやすく、そこにフォーカスされる。

でも人の数ほど主観があることから、Bさんへの共感的理解をもって関わらなければ、実は深い洞察に繋がらない。

相談してくれたAへの共感的理解をすればするほど、Bさんへの共感的理解が薄くなってしまうし、バイアスがかかってしまう。

ここを認識しておかなければならない。

また、限られた時間の中で理解するのは本当に難しい。

わかった気にならないことは大事だが、限られた時間の中で理解しようとすると、わずかな言葉からそれを理解しようとするのだが、そうすればするほど、相手から受け取る非言語への情報が私の意識から消えていっていることに気がつく。

本当はこの非言語の部分にも重要な情報がある。

コーチングのときにはある程度は意識しているものの、なにかグループでの対話の際には、無意識に私の思考の矛先やキャッチする情報が限られていることを感じた。

人間が1秒間にキャッチできる情報量は、126bitとキャパがあると言われている。

一方ここに意識状態を変えることで、つかめる情報量は増える。

より一層自分の意識状態を変容することを心がけたい。

2021年2月27日の日記より
2021年3月1日

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