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日記「あじわい」

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発達に欠かせない対極性の行き来#133

昨日クライアントとのセッション後の雑談で、互いに何が発達に寄与した経験になったかの対話をしていた。

発達・インテグラルコーチングでみるセッションポイント【ケース1】#132

共通していえるのは、異なる環境に触れていくことだった。

私もクライアントも、経験としては似ているところが多いように思ったが、いずれも会社から完全に辞めて、ビジネスと全くかけ離れたところに身を置いたのが、自己の変容には非常に大きかった。

私でいえば、1年間ほど無職の経験したことだった。

究極的に、人間が認識する現実世界は、多くが言語概念を用いた虚構といえる。お金にしても国境にしても経済活動にしても。

いずれもある種のゲームをしていると言える。

偏差値をあげること、売上をあげること、昇進すること、スキルをあげること。

人間が環境に適応してしまうために、そのゲームに夢中になる。

サッカーの試合も、点をとり、相手に勝つために試合して夢中になる。審判が笛をふいてくれることで目が覚めるのであるが、現実世界は誰も笛をふいてくず、そのまま死を迎えることも多い。

自分が何のゲームをしているのか、自らで気付くことは難しい。

ここでこのゲームに気付くためには、今と異なる環境に身をおくことが重要になる。対極であればあるほどよい。

私自身は、公務員からビジネスの環境へ移ったこと。スタートアップの経営から無職へ移ったこと。

今でいえば、個人で働いているが、エールという組織に社外から関わり、組織で働くことも対極性を実現している。

昨日のクライアントと話をはじめ、多くのクライアントと人生に触れて思うのは、本当の対極というのは、自分で意図して選択するには非常に勇気のいることのように思う。

そういう意味では、コロナのように、何か自分の力ではどうしようもない外的要因による環境の変化が発達にもたらす影響が本当に大きいのだと思う。

また、自分で意図して対極を選ぶというのも、そもそも自分が今おかれている環境を認識しなければ、対極の選択肢が生まれてこない。

自分が今、何のゲームをしているのか。異なる体験は何なのか。この問いを持ち続けていたい。

と書きながらも、実は人間にはもともとこの対極を行き来したいというのが、もともと備え付けられているように思う。

じっと座っていれば立ち上がりたくなるのと同じように。

その点でも、内化、つまり人間に本来あるバランス感覚を取り戻していくというのが大切になるのだろう。

2021年4月23日の日記より
2021年4月26日

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