(本ジャーナリングはクライアントの許可をえて公開している)
今日もクライアントとのセッションも非常に大切なことに気づかせていただいたように思う。
発達理論、インテグラル理論は他の学問と違いあまりに広範囲で哲学的で深遠であり、象牙の塔と化されぬよう、実践への架け橋にするためにジャーナリングを行いたい。
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クライアントのテーマ
今日のクライアントは、心がざわついたこととして、前職との関係性についての話だった。
役員として会社を上場させ、ストック・オプションの行使を退職後も持っていたが、退職者は行使できないよう急に変更されたとのこと。
この件をクライアントはどう捉えているのか。
聴いていくと、経済的な意味合いももちろんあるのだが、それ以上に、株をもっておくことでその会社とのつながりをもっていれるという意味が大きかった。
それが失うことが悲しいとのこと。
このテーマに対して、対人支援者としてどう関わっていくだろうか。
流派、心理療法によって展開のさせ方は多様であるが、発達・インテグラルの観点でいけば以下のことが言えるのではないかと考えている。
発達構造的観点
まず、このテーマは発達上非常に重要なテーマの1つに思う。
グリーン以降の後慣習的な段階(the postconventional stage)の方は、実存的リスクを抱える。
というのは、後慣習的な段階からは、人や社会の根底に潜んでいる構造そのものに関心があって、構造そのものを客体化でき始め、時にそれを批判することもできるがゆえに、マジョリティからの孤独を感じてしまう。
スザンヌ・クック=グロイターは、とあるインタビューにてこんな言葉を残している。
「後慣習的段階に向けて発達をするときに、退行することが重要となる。
順応型段階の課題を再探求する。」
順応型段階の課題というのは、換言すると社会とのつながりのこと。
人間は社会に埋め込まれた生き物であるがゆえに、グリーン以上の段階に至っても、「含んで超える」の原則があるように、社会から排除されるのか否かのテーマは実は何度も何度も向き合っていかないといけないテーマなのである。
発達構造の捉え方
この件は、なにもグリーン以降はアンバー段階の問題とも向き合いましょうという話だけではない。
重要なことは、「含んで超える」という点から、今いる構造だけを扱うものでもなく、その段階以下の課題も扱うことを押さえておかなければならない。
このあたりは、対人支援者側の発達構造への認知そのものが問われている。
キーガンのモデルが広がったことはとても喜ばしいことではあるが、キーガンのモデルしかしらないと、それはあまりに一部に過ぎず、それだけをもって発達コーチングを行うにはとてもリスクを伴うように思う。
発達構造というのはもっと複雑で多様なものである。
ベックとコーワンのスパイラルダイナミクスでいえば、段階というのは小断片の寄せ集めであり、網の目であり、ブレンドであるし、
ウィルバーの統合的サイコグラフでみれば、発達ライン(種類)は多様なものであって、どの種類の構造かによって大きく変わるわけである。
もっというと、これまでの心理学者が述べてきたことでも、豊かで深遠な人間の内面のごく一部に過ぎない。
このことを踏まえた上で活用しなければならない。
本ケースでのポイント
話を戻すと、今回のクライアントは、多くの点でグリーン段階以上の発達段階におり、社会とのつながりをどう捉えなおしていくか、つながりが消える恐怖とどう共存するかを、何度も向き合うテーマになる。
そのうちの1つとして、今回のストック・オプションの行使の権利喪失について、どのように認知していくかがポイントになる。
複眼的に物事をとらえていくために
「会社はどのような状況でそうジャッジしたのだろうか?」
その点をおさえて、構造上、相手の立場上起こる現象だと認識し、
クライアント自身は、
「自分はどうしてその会社とのつながりをもっていたいんだろうか?自分は何を求めているんだろう?」
「つながりとは何をもってつながりといえるんだろう?」
このあたりを1つ1つ丁寧に深めていくが重要になるだろう。
相手の状況にもよるのだが、このように認識そのものをダイレクトに扱うことが大切に思う。
今回のクライアントは、最終的に面白い見解で、「片思いでいいんだ」ということに落ち着いたように思う。
この片思いには、エーリッヒ・フロムばりの成熟した愛の形で、そこには承認欲求がほとんどなく、自分の過去の貢献への執着もなく、自分の認識がつながりを作ったり作っていなかったりしているだけであるから、片思いくらいがちょうどいいようなニュアンスがあったように思う。
クライアントの様子をみると、温かい気持ちになっていたように思う。
いつもながら、クライアントとのセッションは、私自身にとってもある種の治癒があり、大きな気づきをいただいた。
2021年4月22日の日記より
2021年4月25日