梅雨入りした本日。昨日とは変わって随分ひんやりした冷たい風が吹いている。
それでも、庭の植物を見てると、この雨でとても気持ちよさそうにしている。
さっき、映画「あん」を初めて見た。
なんと素敵な映画だったか。
この映画について2時間でも3時間でも語ってみたい。
それほど味わい深い映画だった。
自分の中で言葉にならないものが多いが、ほんの一部でも映画を通じて感じた今の気持ちをここに残してみたい。
CONTENTS
あらすじ
この映画は、ドリアン助川さんの小説「あん」が原作。
ハンセン病で療養所に隔離され続けた、手が不自由な老女、徳江(樹木希林)。療養所で50年間あんこを作っていた。
ある日、外を散歩した際出会ったのが、どら焼き屋の店長、千太郎(永瀬正敏)。あんこが美味く作れていなかった。
徳江が千太郎のお店で働くようになり、徳江あんのおかげで、どら焼きは人気になる。
しかし、元ハンセン病という風評で、客足が減ってしまう。徳江は自らお店から離れていく。
人生半ばでつまずいてしまった店長さんと徳江さんの二人の出会いが、運命をかえていく物語。
店長さんの生き様
この映画をみて、店長さん、徳江さんそれぞれの生き方から気づかせていただけることが本当に多い。
店長さんは、甘党でもなく、好きでどら焼き屋をやっているわけではなかった。しがらみが多く、閉ざされ、生きづらい面持ち。
そんな中、76歳の徳江さんを雇う。
一緒に働くことで、店長さんに変化が起き始める。
小豆を丁寧に6時間かけてつくる徳江さんの工程に、最初は少し驚きのほかに嫌気もあっただろう。それでも、味は今まで食べたことないほど美味しく、その喜びの方が勝った。
それだけでなく、徳江さんという存在そのものにふれていくことが、店長さんにとって、大切なことに気付く時間だった。
徳江さんは、働けるだけで涙を流し、働くことをこんなにも楽しんで、小豆をはじめ、すべてのものに優しく丁寧に接するその姿は、店長さんには新鮮だった。
店長さんにも、働く喜びが蘇ってくる。
そして、最後は自分なりのどら焼きを完成させる。
自分が自分自身になっていくということ
この映画は、ハンセン病への差別問題を扱っているものだが、生きることそのものをテーマにしている。
徳江さんは、遺言となるテープの録音でこんなことを言っている。
私が店長さんを初めてお見かけしたのは、甘い匂いに誘われた週に1度の散歩の日でした。
そこにあなたのお顔がありました。
その目がとても悲しそうだった。なんでそんなに苦しんでるのって聴きたくなるような眼差しをされていました。
それはかつての私の目です。
垣根の外に出られないと覚悟したときの私の目でした。だから私は吸い寄せられるように店の前に立っていたのだと思います。
今回の徳江さんの人生に触れれば、ハンセン病や世間との隔離がどれほど心を痛みつけられたか。自分の子供さえも産ませてもらえない。
それでも、それはハンセン病だけではなく、病や差別はいろんな形となって現れてくるもの。
だから生きることそのものをこの映画は訴えかけてくれる。
生老病死。生きることは苦だと仏教で言われるが、誰もがそういった苦しみがある。
店長さんは、どら焼きの前に社会から閉ざされた闇があった。
無愛想で暗く歪んでいるように見える。
それでも、映画のはじめからずーっと優しくピュアな心を持っていた。
店長さんが、犯した罪も、喧嘩の仲裁したかったからだった。
店長さんは、徳江さんが元ハンセン病患者だったことも薄々は知っていただろう。
浅田美代子さん演じるどら焼きのオーナーからも、徳江さんを首にしなさいと言われながらも、むしろ逆に、徳江さんを望むどおりに接客に立たせた。
どうしてそうしたのだろうか。
店長さん自身は、自分が母に迷惑をかけたまま母を亡くしてしまっている。
母にもっと親孝行したかったという思いがきっとあったんだろう。店長さんのその優しい思いが、そのまま徳江さんと重ねる部分があったのかもしれない。
だから徳江さんを守ってあげたかった。
表面上には見えてこないけど、無愛想な店長さんの奥には、そんな優しさがある。でもそれは店長さんだけじゃなくて、きっと誰もが、そんな心をもっていると思う。
誰もが自分自身になっていくことを店長さんの人生を通じて、伝えてくれているように思う。
徳江さんから店長さんへの手紙にはこんな言葉があった。
こちらに非はないつもりで生きていても、世間の無理解に押しつぶされてしまうことはあります。
知恵を働かさなければいけないこともあります。
そうしたことも伝えるべきでした。店長さんはいずれ店長さんらしいアイデアで、ご自分のどら焼きを完成させる人だと思います。
どうぞご自分の道を歩まれてください。
店長さんにはそれがきっとできます。
店長さんは、この手紙でどれほど前を向けただろうか。
映画ラストシーンの、桜の中で、店長さんが自分のお店を出していうセリフ
「どら焼き、いかがですか?」
この時の表情は絶妙な表情をしている。
その場にいた子どもたち、親御さんたち、言っているわけだが、この表情を見ると、どこか徳江さんに向かって言っているように思える。
「徳江さん、俺やったよ。徳江さんから教えてもらったあんづくりで、自分なりのどら焼きつくったよ。」
そんなふうに聴こえてくる。
徳江さんのあり方
本映画は、なんといっても徳江さんのあり方から教わることが本当に多い。
徳江さんは、生きとし生けるものへ感謝している。
今ここに生きている。
映画の中でも
・葉が揺れているのを見て、「手を振ってくれてる」と感じ
・朝出勤する際に、木にちっちゃいさくらんぼをみて喜んでいる。
・小鳥より早く起きるといういって、人だけではなく、動植物とともに生きている。
そして、店長さんへ宛てたさっきの手紙の中で、こんなことを言っている。
あんを炊いているときの私は、
いつも小豆の言葉に耳をすましていました。それは小豆が見てきた雨の日や晴れの日を想像することです。
どんな風に吹かれて小豆がここまでやってきたのか、
旅の話を聴いてあげること、そう聴くんです。この世にあるものは全て言葉を持っていると私は信じています。
日差しや風に対してでさえ、
耳をすますことができるのではないかと思うのです。
なんて素敵な信念なのだろうか。
私は今日、実家に帰ってきているのだが、今年90歳になる私のお祖母ちゃんは、トイレにいくとき、自分の身体に語りかけている。
「まだだよ。まだだよ。まだ出ちゃダメだよ。」
可愛いな〜っと思って聞いてたけど、こういうことなんだよね。
身体や自然に耳を澄ませる。
私も、こんな姿勢に立ち返りたい。
徳江さんの生き様
徳江さんを見ていると、仏教でいう「悟り」、老子でいう「無為自然」の境地を体現されているような方に思った。
徳江さんも人でいる限り、喜び、悲しみもある。
どら焼き屋で働けることになったとき、涙しながら喜び、
自分の病のせいで客が遠のいてしまった悲しみ、
店長さんが苦労させてしまった申し訳ない気持ち、
これらはもちろんある。
でも、店長さんや他の方と比べて、堂々としている。
感情自体も、命自体も水のようなもので、ただあるものとして、自然にまかせている。
原作者ドリアン助川さんが、小説の発売記念イベントでこんなことを語っている。
「人の役に立つこと」が生きる意味だ。
「社会の役立つこと」が自分の生きてきた意味だ。そこに違和感があった。
我々の生まれてきた意味が「社会・人の役に立つ」ことだけだとしたら、
じゃあなんで人の役に立たないトンボはあんな綺麗な羽をしているの?とか
蝶々の羽の模様はなんであんなに美しいの?とか役に立つとか立たないとか全然違う次元で我々は生まれてきたのではないかと思う。
生きる意味や価値も、人間が勝手に決めていること。
幸や不幸さえも、人間が勝手に感じていることであって、
自然の中では、幸や不幸はない。
徳江さんは、そんなものに惑わされるようなお方ではなかった。
無為自然。
何もなさないで、すべてをなしている。
そんな境地で、あるがままに私も生きたいと思う。
庭にあるもみじの木をみて
このジャーナルを書き終えて、雨がやんだので庭に出てみた。
ちょうど徳江さんが新緑のもみじに手をふっていたのと同じような、もみじの木が庭にもあった。
たしかに揺れているのが手を振っている、いや何か笑ってるように見えた。
雨が気持ちいいのだろう。
足元をみてみると、水たまりができている。
その横には、文字が書かれている。
父と母が、この石畳をつくったときに彫った文字だ。
「RAKUEN」と書かれていた。
父と母の命もいつかは尽きてゆくことを思うと、目頭が熱くなる。
父と母は、何十年とずーっと庭や畑を楽しんできた。
どこからか種がとんできて、勝手に生えてきたワイルドストロベリーを見て喜んだり、こないだ降った雹(ひょう)によって折れた花を悲しんだり。
それでも無為自然。あるがままに、自然のままに。
人の命も、自然の命も、美しさと儚さもそのままにある。
そう思うと、この涙も悲しいながらも前を向いている。
徳江さんのように、この瞬間を味わっていきていたい。
最後に、徳江さんは死ぬ直前に、一人、桜と空を見ながら、言っていたセリフを残したい。
ねえ店長さん
私たちはこの世を見るために・・・
聞くために生まれてきた・・・だとすれば何かになれなくても
私たちは生きる意味があるのよ。
2021年5月16日の日記より
2021年5月22日