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日記「あじわい」

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PTG(post traumatic growth:心的外傷後成長)という成長に大切な概念

今日はとっても綺麗な夕焼けだった。

あまりにも窓がオレンジに光り、クライアントとセッション中だったが、大変失礼ながら、思わずセッションをとめて、お互い夕焼けをみた。

梅雨が続いていたからこそ、久しぶりにみる夕焼けは格別だった。

さて、先日の勉強会を振り返り、自己変容において、PTG(post traumatic growth:心的外傷後成長)という概念は外せないものだとしみじみ感じている。

いわゆる、艱難辛苦汝を玉にす(=人は困難や苦労を乗り越えることによって、初めて立派な人間に成長するということ。)ということだ。

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衝撃的な体験は、大きなゆらぎとなり、人間的成長が起こる。

昔から苦労話が好きで、夜と霧など、好きな本、映画は、だいたいPTGに関する内容だったし、その志向は年々増している。

それは自分自身の実体験からきているし、多くの人が体感として理解していると思う。

人の変容を支援をする立場として、これに関われることは大きなやりがいに思う。

だが、扱うには非常に難易度が高い。

今日、エールのメンバーと仕事関係なくざっくばらんに話をしていて、想像を絶する経験をされてきた話を聴き、言葉を失った。

でも、確実にその方の人としての深さ、根源のようなものに触れたように思う。

PTGに関われると、その方の深いところまで理解できるようになるし、深くつながった感覚が持てるだろうし、真の意味で変容に関わることもできる。

この分野は本当に専門の方でないと危険だろうが、臨床家として専門以上に、何より人としての器、魂が問われるだろう。

私自身、そこまで関わっていきたいが、自分の人としての成熟度合い、技量を見定め、焦らずゆっくりいきたい。

先日、内科医で緩和ケアに関わる探求仲間から伺ったが、PTSDは、意図しない反芻が起きるわけだが、PTGでは「意図的反芻」が大事とのこと。

PTGではないが、先日自分の死を思考実験的に考えることも、意図的にやっていくことが、自己を深めるものになろう。

何をそんな暗いことをと思われるかもしれないが、逆である。

死を考えるからこそ、生の輝きが増して、人生への感謝や嬉しさが増す。
些細なことでも満たされる。

まずは自分自身が、深く深く向き合っていきたい。

2021年5月28日の日記より
2021年5月30日

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