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日記「あじわい」

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どうしても完璧、高い質を求めてしまう性#176

今日は友人たちに、私のビジネスについて話を聴いてもらった。
いや〜本当に聴いてもらえるのが有り難い。

自分が自分の声を聴くのは本当に難しい。
もちろん聴けるようになっていく。
徐々に自分を客体化できるようになれるし、メタ認知できるようになる。

キーガンの言葉を借りれば、その「主体から客体への移行」が認知の発達。

ただ、どこまでいっても自分を客体化できることは難しい。
だから聴いてもらえるのが有り難い。
改めてそう思った。

今回もMTG中、友人たちに聴いてもらって、従来からある私の葛藤が出てきた。

どうしても完璧、高い質を求めてしまう自分がいて、やりたいことをいつまでもやれない。

今回でいうと、インテグラル理論や統合的な心理学を学ぶ場をつくりたいと前々から思っているけれども、ブレーキを踏んでいる自分は、質を過度に求めている。

それはもちろん肯定的に機能している部分もある。
良い場をもちたいという気持ちは自分を成長へ導いてくれる。

ただ、このブレーキもかけすぎはよくない。
毎日が変化、成長の連続で、どこまでいっても質はきりがない。

むしろ、今じゃないと届かない人もいる。だからやりたいならやったほうがいいとも思う。

だが、このブレーキにも意味がある。
ブレーキは何を思っているのか。あるいは、何を守ろうとしているのか。私はどれくらいブレーキを押すのが健全なのだろうか。

ブレーキ1

「それなりのお金をもらうことからには、見合った価値を担保したいが、今はできないと思っている。」

本当にそうなのだろうか、それこそ検証したらいいのでは?
確かに私が加藤さんたちと学んでいる場は、相当レベルが高い。
でも、私だからこそ響く人、届く人もいるのではないか?

そう思うと、試せばいいように思う。

・ブログを発信すること
・セミナーをやること

これらも同様だったが、そうやってやってきたではないか。

今回はさらに高いレベルのものがしたいからやらないのだろう。
だったら、誰かと組んでやってもいい。

ブレーキ2

「自分のファシリテーション能力はまだ。」

これは基準を設けよう。

ブレーキ3

「なにごとも扱う人によって狂気にもなる。ゆえに、やるにはある程度の倫理観、哲学が必要。」

これも最低限クリアしてきたように思う。

ブレーキ4

「多くの人を集めたいけど、今は集められない。せめて本出してから。」

そもそも多くの人でいる必要があるのだろうか。

自分の中で、学びの場としての最低限の人数がいればいいのではないか?

どうしたいか?

ここまで書いてみて、やはりブレーキ1が大きいように思う。

でも、その見合った価値とやらは、他者、マーケットが決めることであって、試せば掴めてくる。

自分の中で、どこまで評価されていたら事業としてGOしたいのか、その基準を明確にしたらいいように思う。

その基準さえも、実際試して仮説検証するようなもの。

それにやっていくと想定もしていないことも起きてくるだろう。

こうやって書いていくと、少しクリアになりつつある。

と同時に、こういう葛藤をもつ自分が可愛らしく見えてくる。笑

時間の都合上、今日のジャーナルはここで終わりたいが、何度も向き合っていく大切な葛藤に思う。

2021年6月7日の日記より
2021年6月8日

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