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日記「あじわい」

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今日は法政大学の臨床心理学科に入らせていただき、半日かけてインタラクティブフォーカシングを体験させていただいた。

以前インタラクティブフォーカシングの本を拝読した著書の前田 満寿美さんがガイドされるとのことと、臨床心理を学ぶ学生に触れたい、セッションをさせていただきたいという気持ちからとても楽しみであったし、終始落ち着いてリラックスしながらも心の中では情熱的であった。

体験した雑感

以前、友人のカウンセラーと話をしていたのだが、フォーカシングの考えや思想というのは、かなり色んな心理療法にエッセンスが入っているし、というよりは、もはやロジャーズとセットでベースとなっている。

今回も実施してみて、オープンダイアローグ、グループコーチング、U理論をグループで実施するSSC、どれも非常によく似ている。

理論的な説明や、フォーカスするところはたしかに違うが、別にそれに関心をもたず、クライアント体験としては非常に似ている。

その中でも、あえてインタラクティブ・フォーカシングの特徴を、今この瞬間感じることをあげていきたい。

【特徴1】言葉にならないものを言葉にしていく体験を積める

これはフォーカシングそのものの特徴だが、言葉にならない感覚(フェルトセンス)を言葉にしていく、この感覚を相互にしあえるのが、インタラクティブ・フォーカシング。

カウンセリングの基礎的なものとして、ジェンドリンの体験過程(もとをいうとディルタイ解釈学的循環)を体感として掴むことは本当に重要に思う。

なぜなら、自分がクライアント体験として変化を感じられるから、カウンセラーになっても同じように変化を感じることができるし、クライアントが自分で気づきを得ていくことを信じられるからだ。

体験過程というのは、言葉にしながら、言葉にならない感覚を確かめていく。身体のおくにあるものを気付いていく。

自分で言ってみる。言ってみたことが、その表現が、私のこの言葉にならない感覚と共鳴させて確かめていく。言いそびれたこと、もう少ししっくり来る言葉でまた言い直してみる。また確かめにいく。

これを繰り返すから、自分で言いながらだんだん自分の身体が何を思っていたのか、身体の奥にあるものに気づけていく。

この体験を、カウンセラー自身がまず深く深く体感することが欠かせない。

これがあるから初めて、ロジャーズのクライアント中心療法、中核三原則の意味が一段深く理解できる。

このクライアント体験を積みということは、カウンセラー必須に思う。

【特徴2】関係づくりと共感的な傾聴力が身につく

フォーカシングとインタラクティブ・フォーカシングの違いは、以下になる。

フォーカシングは、自己理解を深めるため。

インタラクティブ・フォーカシングは、自己理解+他者理解(相互理解)を深めいながら関係づくりに適している。

さらに、その場で感じたことを繰り返し確かめていくことをすることから、共感的な傾聴力が身につきやすい。

インタラクティブ・フォーカシングをつくったジャネット・クラインが望んだことは、

・他者と深くつながりたい

・共感的に聴けるようになりたい、傾聴スキルを高めたい

という思いからきているので、それがそのままインタラクティブ・フォーカシングの特徴であり魅力になる。

【特徴3】非常に取り組みやすい

そして、なんといっても非常に取り組みやすい点にある。

インタラクティブ・フォーカシングを提唱した、ジャネット・クラインとメアリー・マクガイアーは、ジェンドリンのフォーカシングを、インタラクティブ、相互性をもたせた点だけでなく、誰もができるステップへと発展させて生まれたもの。

言葉も微妙にわかりやすくなっており、たとえば、フェルトセンス(言葉にならない感覚)といわず、ボディセンス(身体で感じている感覚)と表現している。

フォーカシングは、クライアント(フォカサー)自身が以下にフェルトセンスと関わっていくかが中心に組み立てれている。

しかし、インタラクティブ・フォーカシングには、相互作用が反映されており、場や関わりのあり方自体が反映されていている。しかも具体的かつ明瞭でわかりやすい。

実際今日大学生のみんなとしてみたが、初めての方でも本当にみんな上手にできている。

【特徴4】共鳴から生まれるものがある

そして、最大の特徴はこの共鳴にある。

クライアントが話し終えた後、ミラーリングをする。

インタラクティブ・フォーカシングの言葉を使えば、二重の共感(Double Empathic Moment)。共感的エッセンスを伝えることで、さらにクライアントの中で理解が深まる。

これがクライアントによっては、カウンセラーからの何よりもギフトに思う。

共感的エッセンスを伝えるポイント

以上が特徴だが、この最後の共感的エッセンス(相手になりきってみて感じたことを返す)を伝えるのが、いつも本当に難しいなと思う。

今日私個人が大事にしたいと感じたポイントは、

(1)ただ相手の言葉と違う言葉で返すだけでいい

繰り返すときは、同じ言葉をそのまま言うのだが、共感的エッセンスのときはあえて違う言葉で返す。

このとき、外れてていい。なにか自分が同じように感じたい、まだ言葉になっていないことを、可能なら私が正確に言語化して返してあげたいと思っている自分がいる。

なぜそう思っているのかというと、それがカウンセラーとしての共感力の高さと思っているし、それでクライアントがより気づきが起こると私は思い込んでしまっている。

しかし、正確に感じ取れるのはどこまで言っても、クライアントだけなのである。だから外れていい。

むしろ、外れたからこそ、そうじゃなくてと、より本当に感じていることをまた言葉として出てきやすい。

そう思うと、もう共感的エッセンスをうまく伝えたいと思う気持ち自体それ自体手放して、ただそのまま自分を通じて感じたことを返せばいい。

言うまでもないが、ここはもちろん自分の体験がまざったものではなく、それを横において、自分がクライアントになりきって感じたことを返す。

(2)まとめて全体像を返す

要は全体として何が起きていたか、どう見えていたかを返す。

クライアントは言葉1つ1つの微細な変化を感じ取っているので、一言で全体を返すとそこにまた気づきが生まれやすい。

最後に、学生たちとしてみたかった私の思いはどこからきているのかというと、学生であろうが、人生経験が自分より圧倒的に少なかろうが、気づきや治癒が起こるんだ!とそれを体感したかった。

共感的エッセンスで阿世賀さんのようにうまく伝えれないと言うが、それでいい。その言葉で、私の中で自己理解が進んだ。

誰であっても共に歩む姿勢があれば、自己理解や相互理解が進めたことを体感したのが嬉しい。

そして、今日の私の気づきの多くは、むしろ彼らとやれたから生まれたものばかりである。

改めて今日の場に感謝したい。

2021年7月21日の日記より

 

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