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日記「あじわい」

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中村哲さんのドキュメンタリーを見て#247

昨日から今日にかけて、中村哲さんのドキュメンタリーを何本か見た。

本当に感動するお話ばかりでとまらなかった。

なんだろう。私は何にこんなに心が動かされているのだろう。

細かなところをあげるときりがないが、しいて大きな部分をあげるとするならば、なんだろうか。

人の可能性

なにか、とんでもないことを成し遂げているというところは、やはり大きいのかもしれない。

それは私自身も、そのような願望があるからだろう。いや誰もが思うのかもしれない。

大干ばつで砂漠になったところへ水路をひくというのは、誰もが無謀と思う。

精神科医であるために、用水路の専門知識や技術もない。アフガニスタンという土地で、その場所で、その規模で、お金も、人もない。

それなのに、できるできないとか関係ない。

必要だからやる。

娘の数学の教科書から微分積分を学びなおして、地元福岡の用水路見に行って、資金も人も仲間が応援してくれて。

これだけの人と地球をこんな形で救って、死後も、チーム中村として生き続ける。

人間は生きるだけで多くのものを奪い搾取してきたように思ったが、やればここまでやれるんだというのを目の当たりにした気がする。

超越した精神

それもなんだろうな。

中村さんを見ていると、クリスチャンということもあってか、ものすごく超越的なものを感じ取った使命感、魂を感じる。

福岡に奥さんと5人の子どもがいて、家族といたいと当然思う。

何度も帰ろうと思ったことは実際にあったらしい。それでも色んな縁で、アフガニスタンを離れることはできなかったらしい。

やるうちに、

「用水路とアフガンの人々のためなら自分は死んでもいい」

と、そこまで言えるほど、自分自身の生きる意味、天から授かった使命を感じたのだろう。

そして、長い道のりであろうが、粛々と進めていく。

それもクレーン動かすのがホント楽しくて、というように純粋に楽しみながら。

この姿勢に心が打たれる。

信仰の成熟

今の私の関心でいっても、信仰に関してものすごく成熟した様子がみえた。

クリスチャンとムスリムで問題ならないのか?という問いに対して、

「問題にするから問題になるんですよ」

という回答は、本当にそのとおり。

現地の人にも、「どうしてクリスチャンなのに、イスラムの国でこれほどまでのことをしてくれているのか?」という疑問に対して、

「わたしたちは同じところを目指している。ただ違う道を行ってるだけだ」

と言ったらしい。

これぞ永遠の哲学の思想であるし、ジェームズファウラーの普遍化する信仰という段階なのではないかと思う。

水と土の恵み

にしても、砂漠の写真から、用水路が通った後の緑豊かな写真をみると、もののけ姫のシシ神が最後に緑いっぱいにしたものを彷彿した。

水と土がこれほどまでに欠かせないものなのかと。

もっと水や土を大事にしたいし触れていきたい。

最後に中村さんのマルワリード堰を。

いや〜とにかく今日はものすごくパワーと勇気をいただいたように思う。

2021年8月18日の日記より

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