時刻は23時50分。
今日はインテグラル心理学の読書会に参加していた。
プレモダン、モダン、ポストモダンのそれぞれの価値と限界点は何で、それらを結びつける営みは、ウィルバーの大きな功績の1つと言える。
本書の目的のひとつは、心や意識に対する近代以前のアプローチと近代のアプローチのそれぞれに含まれる真実を結び合わせることである。
これまで見てきたのは、前-近代の世界観の本質にあるのは「大いなる入れ子」であり、近代の世界観の本質にあるのは(芸術、倫理、科学への)「価値領域の差異化」であるということだった。
それゆえ、前-近代と近代を結びつけるためには、「大いなる入れ子」と「価値領域の差異化」を結びつけることが必要である。
これはつまり、大いなる入れ子のそれぞれの段階を、4つの象限によって差異化(区別)するということを意味している。
そのことによって、私たちは古来の精神性/霊性(スピリチュアリティ)における中核的な主張ーすなわち、大いなる入れ子ーと、近代における中核的な主張ーすなわち、価値領域の差異化ーの両方に、栄誉を与えることができる。加えて、そのことによって、今よりも統合的な心理学へと移行するための土台を得ることができるだろう。
わたしたちの現代社会にも、モダンがもたらした悲劇=フラットランドはいたるところにある。
たとえば、豊かさを図るGDPもそうである。
教育も本来個人の内側の感覚も重要であるが、偏差値などにフラットランド化している。
フラットランドから脱すために、どのようなことができるのだろうか。
読書会で出た声として、経験談として子育てが良かったと話題にあがった。
子育てと仕事はあまりに異なる世界で、仕事と比較すると非効率、非生産的なものに感じてしまう。
が、そこには固有の価値がある。
フラットランドという、物質、数字、効率、見えるものから脱するためにはその真逆の体験にある固有の価値にふれることで、腹落ちしてバランスがとれ始めるだろう。
最近ビジネス界でも、アート思考などアートも見直され始めているが、それをどのような文脈で捉えるのか。
フラットランドを助長するようにも使えるだろうし、脱フラットランドにも活かすこともできる。
マインドフルネスもそうである。よりハイパフォーマンスになるというように使われるし、パフォーマンスというその発想そのものから脱すように活用できる。
より大きな時代の流れ、社会の流れを俯瞰して、身を投じたいと思う。
2021年10月27日の日記より