焦らずゆっくりと、スローゆえに育む。
こういったことを1年ほど前から自分の中で大切にしている。
発達はslowであるべきだと、発達理論の中でも言われる。
発達理論で語るならば、発達は、ビルをメタファーにするとわかりやすい。
土台がしっかりしているからこそ、その上にどんどん積み重なることができる。
では、発達理論においては、各段階において、急いで発達することで積み残された課題は何なのだろうか?
こういった問いをもっている。
今日は、先日甥っ子たちをみていたこともあり、ふと、1つの仮説としてアンバー段階を急いで越えてしまうリスクが頭によぎった。
アンバーが育まれるものは、他者、組織、社会とつながることによる安心感ではないかと思う。
ゆえに、アンバーが短く、依存しないことを早期にもとめてしまうと、無意識なところで、個を確立するオレンジ段階で、孤独、独立への不安が残ってしまうのではないかと思う。
これは愛着理論で言われていることや、シュタイナー教育にも見られる。
幼児のみならず、成人になってからも、成人というフェーズだからこそつながる社会があり、そことのつながりを形成するのがアンバーの段階ではないかと思う。
逆説的ではあるが、自律するために、依存する期間があってはじめて真に自律することができる。
また、グリーンという段階においても、テリーオファロンがSocial Preferenceとして、アンバーとグリーンをCollectiveと置くように、依存力、共存力のようなものとして、グリーンにおいても、安定して相対主義を育んでいけるのではないかと思う。
自分自身の人生をこの観点で振り返った際にも、私自身は長くアンバーにいた。いつなんどき、自分自身は他者に助けを求めること、最後はなんとかなるという根拠ない自信があること、こういったことも実はアンバーという他者や社会に依存した生活をしたゆえに、育まれたのではないかと思う。
2021年12月29日の日記より