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日記「あじわい」

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行動探求という発達理論・インテグラル理論の講座を担う重責、苦しい葛藤、そして講座に込めた想い#373

毎日、日記を書いては公開していたが、公開しているのはほんの一部に過ぎない。

それは、対他者において守秘義務上公開できないものがあるし、対自分としても、可能な限りオープネスなあり方でいたいが、実際のところはなかなか公開したくない内容もあるからだ。

そのうち、今日は1つを公開したい。

2021年8月10日、アントレプレナーファクトリーさんにて、行動探求という講座の講座を収録した日の夜の日記である。

ーーー2021年8月10日の日記よりーーーー

今日は朝9時より夜17時まで、起業家教育、企業内教育動画ラーニングのアンファクさんにて、新講座の収録をした。

発達理論、インテグラル理論の探求者として、行動探求という理論の講座を担当させていただいた。

しかし、この依頼を本当に引き受けていいのだろうか?
という問いが何度も自分にたった。

もちろんアンファクさんは、私への様々なバックボーンや専門性への敬意払ってであるが、これは私自身の問題として、この問いにこたえる必要があり、苦しみ続けた。

私の中にある恐れ と 大切にしたい思い

それは、いろんな専門領域の講師をするにあたり、発達理論やインテグラル理論だけは私の中で別格にとらえている。

コーチングも教える。

MBAで学んだような基礎的な経営、私の実務経験を踏まえて私の知りうる範囲でいくらでも教える。

でも、でもだ。
今の私にとっては、発達理論とインテグラル理論だけはどうしても違うのだ。

それは、発達理論、インテグラル理論というものが、人の器を扱っており、これを話しするには、私自身が器そのものが問われるものだからである。

それにとても深遠で、哲学的なものであり、その理解度も高く問われる。

現在、日本を代表する発達理論やインテグラル理論の専門家は、鈴木規夫さんや加藤洋平さんになる。U理論広めた中土井さんも深い理解と実践をされている。

私自身は、その先輩方に学ばせていただいている。

そういった方々と比較した際に、私という人間は、あまりにも未成熟ではないか。

恐れていることは、もし仮に私が担当した際、発達理論、インテグラル理論というものの深遠さが損なわれ、歪んで伝わってしまうのではないか。

また、近年発達マウンディングのような言葉が広がる中、高い倫理観や規範がなければ扱ってはいけない。

ゆえに、私は本当にこの講座を担っていいのか、恐れている。

一方、私がこれほどまでに恐れを抱いているのは、発達理論、インテグラル理論の深遠さを少なからず理解しているからであり、敬意を払っているからである。

発達理論、インテグラル理論に内包している価値を、社会的な文脈に照らして、とてもとても大切に扱いたいのである。

向き合うべき問い

だが、もし仮に、もし仮に、今の私が講座を担当させていただくにあたり、私という人間を通じて生み出される、語られるものにどんな価値ないし特徴があるのだろうか。

社会から担うべき役割があるとすれば何なのだろうか。

また最低限押さえるべきポイントは何なのだろうか。

という問いとも向き合っていた。

それらを考えるにあたり、そもそも今の日本社会において、成人発達理論やインテグラル理論がどのように認識されているのか、を押さえる必要がある。

多くの人にとって、一般的には実践書というより理論書と位置づけられている。そして、他の学問と違い、あまりに広範囲で哲学的ゆえに、象牙の塔とされる側面もあるだろう。

しかし、近年キーガンの書籍、ティール組織が話題になったことから静かに注目を浴び始めている。

書籍もここ2年、3年でものすごく増えた。講座も増えた。

とはいえ、理解には非常にハードルが高く、実践にいたってはよりハードルが高いものになっている。

問いに対するアンサー

そのような中、私ならではという点では、まず1点目に、私が行政、ベンチャー経営を経て、現在コーチとして対人支援の現場に関わっているというその経験にあるのではないか。

発達理論やインテグラル理論を実践するにあたっては、理論内に閉じることなく、他の理論との関連性をつなげることも重要になる。

私がこれまで少なからず自分なりに体得してきた理論の中で、実践上親和性の高いものを紹介することや、私自身の経験を踏まえることで、私なりの付加価値や特徴が生まれてくるのではないか。

また、2点目として、難解な理論ゆえに、それをどのように相手の文脈にのせて、わかりやすさと専門性という矛盾をいかに織り合わせながら伝えることができるか?

ここに私の力量が問われるところであり、私の独自の経験や知見が活きるところになる。

この2点だけとっても、それをどれほど体現できるかが問われており、価値という意味では、この体現度合いで十分ではないだろうと思う。

そして、今度は視点を自分から離れて考えてみた。

今の日本社会における成人発達理論、インテグラル理論の自体の健全な普及や浸透という観点においては、加藤さん、規夫さん、中土井さん以外にも、少しずつだが増えていく必要性があるのかもしれない。

そう思うと、私という人間が、こうやってこの理論を先輩方に学ばせていただきながら、探求し実践しているという点において、社会が私を育ててくれているのではないか。

次なる担い手として私をいざなってくれているのではないか。

私自身もその使命を帯びさせていただいているのではないか。

そう捉えることもできるかもしれない。

そして、未熟ながら引き受ける覚悟が決まった。

この講座に込めた私の思い

だが、いざ引き受けたものの、そんな単純なものではなく、資料をつくるたびに、さきほどの問いが残り続ける。

本当にそれでいいのだろうか?
私という人間がどれほど体現できているのだろうか?

その思いが私を苦しめ続けた。

誰をターゲットとすべきか。
何を伝え、何を伝えないでおくのか。

何度も何度も頭をめぐる。

そして、最終何周か回って、とてもシンプルなことにした。

この講座を受け終わったあと、見た人が
「めちゃくちゃ面白かった!もっと学んでみたい!」
という状態になるとこと。

理解が進み、素晴らしさ感じながらも、一方で理解できぬ深遠さを感じる。

それは最低限押さえておきたいと思った。

それを踏まえた上で、情報量はいかほどがよいのか。
何を伝え、何を伝えないでいるのか。

考え続ける。

しかし、それらの問い以上に、私が大切にすべきと思ったのは、

私自身が何より楽しく語ることであるし、私なりにこの魅力を伝えることのように思った。

講座を取り終えた今、いまだに私が担って良かったのかという問いが残り続けている。

しかし、私自身が楽しく語り、私なりの感じている魅力を伝えるという点においては、やりきった。今できる範囲の最大限を尽くした。

あとはどうなるか、社会へ差し出し、社会とコミュニケーションをしながら、変わらずフラットに皆様と探求していきたい。

この講座が、私という人間を通じるからこそ、届く人に届いてほしい。

今書きながら、感謝という気持ちを含み、私の目に涙が溢れてきた。

2021年8月10日の日記より

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今あらためて思うこと

2021年12月28日の今日、改めてこの日記を見返して、随分前のように感じる。

特に、発達理論、インテグラル理論に関しては、マスターコースという機会もいただき、また一段深く学べたこともあり、当時とは違った捉え方をしている自分がいるように思う。

今なにか講座の機会があれば、また違ったものが出てくるだろう。それは良くも悪くも両面がある。

この当時だからこそ、その瞬間に自分だからこそ出せるもの、輝くものがあると思える。

もちろん私個人は、今でもこの講座をクライアントに進めて対話をしている。

たかが4ヶ月である。されど4ヶ月である。

それほど、自分というのがミクロでは変化し、マクロでは変わらずいるように思う。

しかしこの当時の気持ちは、今も変わらず大切にしていたい。

さて、12月28日、今一度、発達理論、インテグラル理論の日本における現状を、阿世賀淳という人間の目から見える景色として、今の自分言葉で語ってみたい。

今日の発達理論、インテグラル理論は、キーガン、ティール組織の功績もあり、静かに注目を浴びている。

しかし、発達理論、インテグラル理論の本来的な価値は非常に貧弱なものになっている。

好奇心の的となるはよいが、都合よく使われ、いずれ骨抜きにされてしまう恐れさえある。

アカデミックな世界では、発達理論は長い歴史があるものの、インテグラル理論は、ウィルバーが研究者の出身ではないことから、そこらの研究者以上に高度な思想体系にも関わらず、位置づけは不十分なままでいる。

人材育成、組織開発、対人支援に関わる人々に多くの人によっては、医者が医学と医術と身に付けると同じように、人間に関する知識と技術が必要であり、そのために欠かせぬ領域になりつつあるが、難しいあまりに触れられない。

つまり、無視されるか、興味本位にもてはやされるか、そういった状況にある。

それは非常に残念であるし危機感もある。

そのような状況下の中で、私は、本質的な部分にたどり着けないかもしれないが、これらの魅力を分かりやすく伝え、同時にリスクがあることへの倫理観も訴え、次なる探求への道の橋渡しになればと思う。

いわば、この講座は、発達理論の入門以前の講座として位置づけたい。

私が講座を担当させていただくことは、非常におこがましいことではあるが、それでも、この小さな講座が、健全なかたちで人間や世界のものの見方が広がるための一助になれば嬉しく思う。

画像1

2021年12月28日公開

講座はこちらより。

 

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