「チ。」という漫画を読み終えて、1時間ほどがたった。
心が震えて、動けなくなった。
泣ける漫画でもないように思うが、余韻にひたり、なぜか涙が出てきた。
自分が生きている間に、この漫画に出会ってよかった。
本漫画は、15世紀、天動説の時代に、異端とされた地動説を命懸けで研究する漫画。
漫画とは言え、ここに1つの物語がある。
私たちの触れている「知」は、多くの「血」の上に成り立っている。
あるいは、多くの命の上に、苦痛の上に、希望の上に成り立っている。
それが何千年という歴史の中で。
そう思うと、今私が触れられている知は、あまりに尊く、神聖であることを深く深く感じ、身動きがとれなかった。
そして、それは「知」だけではないことは言を俟たない。
今あるこの世のすべてがそうなのである。
なんという世界に生きているのだろう。
私はどうしてこんなにも震えているのだろうか。
今日手元にある1巻から5巻までを読んで、一貫して流れているものは
「この世界のために、命を惜しまないこと」
これに尽きるかもしれない。
漫画の中に、こんなセリフがある。
「多分、感動は寿命の長さより大切なものだと思う。だからこの場は、僕の命にかえてでも、この感動を生き残らす。」
「でもそんなものを、”愛”とも言えそうです。」
今月から、HPLのウィズダムコモンズラボのメンバーと、井筒俊彦の読書会をしている。
そこで、一貫して聴こえてくることは、
私という人間は、壮大な歴史とこの先も続く未来をふまえ、人類や地球のために思うと、実にどうでもよい存在だということ。
それと同時に、全くもって矛盾のように聞こえるが、これまでもこの先も、二度と現れない、たった1人の欠かせない存在でもあるということ。
しかし、これらは全くもって矛盾していない。
私一人のエゴに捉われることが実に虚しい。
私は、ただただ、この世界、この地球のために、すべてを捧げる。
このかけがえのない私にいただいた、使命という小さな役割を全うし、最後の息を引き取るまで、ただただ捧げるのみである。
この漫画から聴こえてくるのも、そういった感覚だ。
彼らの生き様をみて、それを感じる。
清く、尊く、美しい。
2022年2月20日の日記より