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日記「あじわい」

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コミュニティ・オブ・プラクティスの前半を読んで#196

エールのメンバーとABDで「コミュニティ・オブ・プラクティス」の前半を読んだ。

さすが、ハーバード・ビジネス・セレクションから出ているだけあって、なかなか面白い。

思えば、私は「コミュニティ」というものに関心が高かったことを思い出した。

行政のときは、「地域コミュニティ」の支援をして、
チャンバラのときは、NPOや武将でコミュニティをつくり、
グロービスという学びのコミュニティに関わり、
ハンドメイドのコミュニティをITを駆使して関わろうとしたり、
これまでの仕事は何かしら「コミュニティ」というものが中枢にあったのではないかということに今更ながら気がつく。

本書のコミュニティ・オブ・プラクティス(=実践コミュニティ)は、コミュニティの中でも、実践コミュニティは、「知識の創造、拡大、交換および個人の能力開発」を目的としている。

そして、私がやりたい内的成熟のための探求の場は、間違いなく実践コミュニティなるものになるだろう。

さらに、本書はハーバードビジネスセレクションから出ていることもあって、経営学の中で語られ、その実践コミュニティが、経営に活かされるものかというシビアな問いにも向き合うものにもなっている。

私の経験が、ベンチャー経営の実践と経営学(MBA)の学び、行政としてコミュニティの支援に関わり、さらに知識の本質は個人の経験に内在化しされたものであるならば、それを引き出すコーチングも含めて、あらゆる経験がここに活きてくるのではないかと思う。

さて、本書を読みながらいくつかの問いを残しておきたい。

もちろん、どの書物にもあたるが、これまで経験と紐付けて理解したり、
今関わっているコミュニティにどう活かせるのか、
という普遍的な問いを持ちつつ、本書ならではの問いを残したい。

組織、チーム、コミュニティは、何が共通で、何が差異なのか。

本書を読みながら、集団の形態には、組織、チーム、コミュニティが存在して、コミュニティの中でもいくつものコミュニティがラベル化されてある。

P82ページの整理は面白い。

画像1

ABDゆえに、読めていないところが多いが、コミュニティの構成要素、発展段階においても、組織やチームと比較して、何は同じであって、何が違うのか。そのあたりに関心が高まる。

死前提にしながら、死に際をどのように見極めるのか。

面白い点だが、コミュニティにも死がある。
コミュニティにも、生き物と同じように発展していき、誕生があり、成長があり、死という自然のサイクルがある。

画像2

誕生よりも死が難しい。無理して生きながらえようとせず、終わるときは終える。終えることによる肯定的な側面も多い。

しかし、本書にある発展段階なるものは、プロダクトライフサイクルとも似ており、これらはきれいにこのとおりではない。

成熟から衰退へは、実は別の意味を帯びてもう一度成長期を迎えることも何度もある。

ゆえに、成熟から再び成長(進化)させるのか、終わりを迎えるのか、これ差は何なのだろうか。

テクノロジーが入ることによる変化は何か?

今や実践コミュニティにもテクノロジーの側面も非常に大きい。
本書ではおそらくあまり書かれていないだろうが、オフラインとオンラインにも、共通して重要なことと、オンラインならではの重要点があり、それが何であるのかを具体的に掴まなければならない。

今関わっているコミュニティにどう活かせるのか

さて、この普遍的な問いに対しては、
第3章の「実践コミュニティ育成の七原則」が役立ちそうだ。

①進化を前提とした設計を行う
②内部と外部それぞれの視点を取り入れる
③様々なレベルの参加者を推奨する
④公と私 それぞれのコミュニティ空間をつくる
⑤価値に焦点を充てる
⑥親近感と刺激を組み合わせる
⑦コミュニティのリズムを生み出す

また、本書に出てくるフレームワークとして、「領域」、「コミュニティ」、「実践」という3つの論点は、実践コミュニティの核になるもので、この点がどうあるべきかを考えてみたい。

今書きながら感じていることだが、知識というものを色んな切り口でわけることができ、1つの分け方として
頭で考えられた「理論」(抽象)

やってみて学んだ「体感知」(具体)
があるとするならば、双方に役割があるわけであるが、
このように書籍からの学習においては、体感知がなおのこと重要になるだろう。

私のこのジャーナル(日記)も、具体であり、体感知でありたい。

2021年6月28日の日記より

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