時刻は、0時45分。
最近、とある会社と協業して、新講座を定期的に実施することになった。
今日は19時から、そのデモ講座を体験していただく場として、友人何名かに来ていただいた。
3時間の体験のあと、1.5時間にもわたるフィードバックの時間をとり、合計4.5時間も没頭していたのだが、あまりにも充実した時間で、今高揚感がある。
CONTENTS
高揚感の要因
この高揚感はどこからきているのか。いくつかある。
(1)自己認識と他者認識のズレを認識できた喜び
それも表面的部分だけでなく、多面的かつ深層的なもの。
ゆえに、その内容は、もはやこの講座だけでなく、広く色んなビジネス、生活全般にさえ通じる本質的な論点であったことが、この喜びを増している。
(2)体験くださった方々が、ここまで真剣に時間をかけてフィードバックをしてくださるというその愛情
この2点が大きい。
付随して、
(3)フィードバックの時間は、サービス提供者だけの私たちだけでなく、実はクライアント側にも有意義な時間になったように思えること。
もちろんこの認識もズレている可能性があるわけだが、発言や雰囲気から私がそれを感じとっている。
(4)フィードバック中、以前にもまして、自分自身を客体化(≒客観視)して対話ができていること。
これは、自我の性質上、「自分で自分を擁護する」があり、うまくいっていないときほど、擁護したくなる。しかし、自己の振る舞いは、多くの場合はあくまで自己の一側面に過ぎないのである。
自我をそのように捉えることができれば、自己の振る舞いも客観視しやすい。発達していけばそれを瞬時にできるようになり、今日のふるまいはできているように思った。
この2点もある。
そして、これらは相互作用している。
前提として(2)の愛情がありながらも、
(4)の私が自分自身が客体化して、フィードバックを受けとめながらも、こちら側の意図も混ぜながら対話を進歩させることに、(1)という認識ズレを表面的でなく多面的に展開することができ、その結果(3)という双方にとっても良い時間になり、それがあるから(2)のこの時間への真剣度が増していくというループがあるようにも思える。
いや、こう挙げると、まるで、私のふるまい自体が素晴らしいから起きたというようになっているが、今回の時間は、クライアントが私たちへの愛情を深くもっていただいていることが何よりも大きい。
改めて感謝の気持ちでいっぱいだ。
自己認識と他者認識のズレはどこから来ているのか?
さて、今日の時間の中で、個人的に響いているのが、
(1)自己認識と他者認識のズレ
である。
どこまでいっても、自己認識と他者認識が異なりつづけるのだが、自分の想定をこえてズレていたように思う。
まだまだ他者視点がとれていない。
その中でも今日は、「話のわかりやすさ」。
私からはわかりやすいと思っていたが、相手からはわかりにくいとのこと。
この日記はある一定、私のための日記であるから、他者を気にせず、むしろ自分自身がその時折で使いたい言葉、浸透させたい言葉を意図的に使っているわけで、難しい言葉が散在するのはわかる。
ただ、他者とのコミュニケーションの場においては、わかりやすくすることを意識している。
でも、たしかにフィードバックをもらうと、わかりにくい点が多々あったことに気付かされた。
これは私自身の今おかれている環境要因が非常に大きいように思う。
(a)かつての環境と違って、今は完全に個人で働いている。
他者との関わりが極端に減ってしまい、他者とともに働らいていないことに、フィードバックの量も質も減ったこと
(b)唯一の他者は、クライアントになるわけだが、サービス内容的私自身が商品であることから、私に共感する人しかいなくなっていること
(c)インプットする内容が、専門的になっていること
(d)(c)に連動する形で、アウトプットすることも、より専門的になっていること。たとえばこの日記
これらの4つの要因もあるように思う。
改善策
他者認識のズレを修正するために、フィードバックをもらうことは欠かせないわけだが、構造上の問題として、今あげたような環境自体にもアプローチしたほうがいい。
たとえば、
・自社の事業も、自分一人ではなく誰か社外からの人材としてでも関わってもらうこと
・定期的に、自分とは異なる属性の方との話をつくること。
わかりやすさをどう捉えるか。
このわかりやすく話をすることは、ペルソナのニーズにあったわかりやすさを意識して使い分けるという学びに帰着するのだが、もう少し深堀りしたい。
一般的に、わかりやすさがなぜ良いかというと、相手が理解しやすいからであり、逆にわかりにくければ、理解できないし、理解する気も失せてしまう。
ワンセンテンスに、わからない単語が1語ならまだしも、3単語くらいあるともう、ちんぷんかんぷんだ。
ただ、一方、わかりにくいがあるがゆえに、自分で調べたいという意欲がわく側面もあるのだ。
この違いは何かというと、興味関心の差が大きい。
講座でいえば、コンテンツそのものの興味でもあるし、講師そのものへの興味もある。
ここをどう自分がどう最初にトリガーとして用意し、醸成できるかも大切で、実は今日の講座も、そこがうまくできればそれほど問題にならないようにも思える。
さて、明日も朝一からMTGあるゆえに、このあたりでお風呂に入って、心身ともにリセットして就寝につこう。
改めて、今日の方々に感謝したい。
2021年4月26日の日記より
2021年4月27日