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日記「あじわい」

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河合隼雄「中空構造日本の深層」から見る日本の集合意識の発達#261

最近、集合意識というものをより意識するようになってきた。

それは、個人の意識以上に、集合意識の方が影響力があまりにも大きく、健全な社会のためには集合意識が外せないという危機感からきている。

今日も私が関わる企業の中において、集合意識をどのように育んでいくのかという話題があがった。

最近、様々なコミュニティでも、女性と男性のジェンダーの話もよくあがる。

集合意識という文脈にのせるならば、サルトルの奥さんでもあるボーヴォワールの「第二の性」。

「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」

というように、性差は、社会によって作り上げられるものだと言い、まさに文明、集合意識の産物であると主張している。

さて、ではどの集合意識を考えるかにあたり、一度「日本」という単位で考えてみたいと思う。

集合意識でいえば、「集合的無意識」という概念を展開したユングの日本における第一人者河合隼雄さんは、日本的な集合的無意識を探るために、神話や昔話を研究したことを思い出し、「中空構造日本の深層」を読んだ。

河合隼雄さんの洞察力と概念化力

書籍を読み、日本の深層を「中空構造」にあると捉えた河合隼雄さんは、その洞察はあまりにもお見事だ。

もちろん、これも1つの仮説であるし見方であるわけだが、ここまで抽象化できるかと。

こういった今の日本を形作ったものは、〇〇であるという書籍は非常に多い。

たとえば、神道が日本を作った、仏教が日本を作った、論語が、明治維新が、終戦後のアメリカがなど。

どれも正しいが一部に過ぎない。

それら時間的にも、空間的にも広げて、包括すると何といえるのだろうか。

とまとめたときに、1つ、この「中空構造」という次元まで抽象概念をつくるあたりはすごい。

中空構造とはなんぞや

改めて中空構造とはなにか。

「中空」とは、外側だけあって、中が空のこと。

これが、昔からある日本の思想、宗教、ひいては社会構造の原型ではないかと捉えた。

たとえば、古事記でいえば、アマテラスとスサノオとツクヨミという三神のうち、ツクヨミは誕生の場面以外記述がない。この何もないという中心が、均衡せしめていると述べている。

我々の身近なところでいえば、神社。

神社は、そこに偶像があるわけでもなく、御幣とか鏡とか、樹木や岩石といった依り代があるのみ。そこに神は存在しない。

建物や樹木などによって、空気や雰囲気を作り出すものの、そこに存在しないありがたみが神社にはある。

これがまさに神社は、空の器で中空ゆえに何かが宿っていると思える。

他にも神道は、他の宗教である開祖、宗祖、教義、救済もない。中空ゆえに気軽さがある。

天皇というのも、責任があって、責任がないという中空。

この中空は、AかBか、正か反かではない、どちらも共存させ、摩擦を回避できるようなことが起きており、これが日本に根付いているというわけだ。

中高構造が生み出す集合意識の発達

この中高構造という仮説は、一定納得いくものが多い。体感として非常に多くのことがいえる。

この理論をインテグラル理論の意識を重ねるなら、日本社会は特にアンバーを根強くさせると言えるのかもしれない。

中空構造は、良く言えばバランスをとっているが、悪く言えばどっちつかずゆえに、空気感でごまかす曖昧さを残す。

ゆえに、アンバーが根付く。

そして、一番の危機としては、発達が非常に起きにくい構造であるといえる。

というのも、どこの段階にしても、発達というのは、弁証法のように起こる。

同一化、脱同一化、統合というプロセスは、言葉をかえると、正・反・合という止揚のことであり、日本における中空構造のバランスというのは、統合ではなく折衷。

衝突を避けるために、正にも反にもいかない。ゆえに結果として統合がおきず、発達も起きにくい構造にあるのではないかと言える。

だが、とはいえ、今の日本企業をみても、ベンチャー、スタートアップはオレンジパラダイムがあるし、確実に違う芽はできつつある。

まずは、中空構造という構造自体に自覚的になることから始まり、中空構造自体の良さを理解しながらも、そこから意図的に脱することを大事にしたい。

2021年9月1日の日記より

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